マーガレット・ハウエル、ミニマリズムの女王と日本の意外な関係
京都の寺で受けた衝撃
ハウエルが作る服は全て、自分が着たいものだ。流行や季節的なテーマには関心がなく、装飾や細やかなデザインとも無縁。ライフスタイルを語る服だ。
値段は張るが(メンズの麻のショートパンツが325ドル)、一生ものの品質という贅沢さがある。「ファッションというよりスタイルだ」と、彼女は語る。
そうした職人気質が日本では敬愛される。東京の輸入業者サム・セグレは、文化が交差する魅力に可能性を感じ、82年からハウエルの服を輸入。83年には、高級ファッションが集まる東京の青山に日本で最初の店舗をオープンさせた。
「私たちは小さな会社で細々と作っていたから、サムは日本で製造するライセンス契約のほうがいいと考えた。結果としてビジネスが少しずつ大きくなり、今がある」と、ハウエルは言う。
80年代前半に初めて日本を訪れたハウエルは、セグレの案内で京都に行った。
「小さな寺は床が磨き上げられ、ほぼ完璧なバランスを保っている。日本らしいシンプルな竹のあしらい方、ふんだんな麻や藍。何もかもが素晴らしい。私自身が過去を愛し、美しい手作りのものを愛しているからこそ、そう感じるのだろう」
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東京での定宿は伝統的なスタイルのホテルオークラ。度々足を伸ばす京都では、1875年創業の茶筒店「開化堂」と共にコーヒー豆用の缶を作っている。
本拠地のイギリスでも、田舎の簡素な暮らしに心を引かれる。週末は東部サフォーク州の海岸にある小さな別荘へ。60年代のモダニズム建築の家には、彼女が敬愛するデザイナーの品々が飾られている。イギリスのデンビーやプールの陶器、フィンランドのアルバ・アアルトの椅子。棚はドイツのミニマリスト、ディーター・ラムスの作だ。
ハウエルは6年前に、自分の全てのデザインと品物の保管を専門家に依頼した。過去を保存するためであり、未来の基盤をつくるためでもある。
「ずっと同じではいられない」とも語るが、全体的なビジョンは揺るがない。「作り手が直観で好きなものを、買う人も好きになる」
自身の成功には今も驚いている。「最初の頃は流行に従わなければいけないというプレッシャーを時々感じていたけれど、私には意味のないことだった」。彼女は少し間を置いて続けた。「人は少しずつ自信がついてくるのだろう」
40周年も特に派手な演出はない。彼女は穏やかにほほ笑みながら言う。「私のライフスタイルを考えてみれば、本当の意味では何も変わっていない」
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[2017年8月15日号掲載]