さまようウイグル人の悲劇
エジプトからの強制帰国に先立ち、中国政府は15年夏にもタイから100人を超えるウイグル人を強制送還させている。タイの軍事政権も中国から多額の援助を得ていた。当時、タイには亡命を希望する大勢のウイグル人密航者たちがおり、彼らの多くは中国発給のパスポートを所持していなかった。自国民であるかの判断がつかないため、中国政府は強制帰国の執行に手間取ったとされる。
そのため、15年には一時的に中国政府のウイグル人へのパスポート発給が緩くなった。それまでならウイグル人は、多くの賄賂を公安当局者に支払い、役人との人間関係を築かなくてはパスポートを手に入れることはできなかった。
ところが政府の思惑とは裏腹に、ウイグル人はパスポートを手に入れると国外に逃れて帰国せず、外国で新疆の現状を告発するようになった。武装組織に身を置き、中国政府とのゲリラ戦を考えるグループの存在も顕著になっている。
中国政府は16年秋から再度、ウイグル人にパスポートを簡単に発給しない方針に戻した上、国外脱出者に帰国を促す通知を出した。
国外に「厄介者」を出しても新疆問題を世界的に認知させる結果となり、さらには軍事知識を持ったウイグル人が脅威となって中国に帰ってくる――。それゆえ中国政府は、新疆の地で漢人に同化するか、家と土地を明け渡して中国のどこかで底辺労働者になるかの二択をウイグル人に突き付けたのである。
【参考記事】ウイグル人なら射殺も辞さない中国に噛み付くトルコ
共産党の「目の上のこぶ」
ウイグル人のワタン(故郷)はいま悲惨な状況に陥っている。
新疆ウイグル自治区カシュガル地区カルグリック(葉城)中心部にあるウイグル人居住区では、美しかった青壁の街並みが人為的破壊によって瓦礫と化している。17年夏に南新疆を旅した日本の若者が、破壊されたこの街の風景を撮影した。
カルグリックはシルクロードの「西域南道」が通る交通の要所で、ホタン(和田)からカシュガルまでの中間地点にあり、チベットと新疆を結ぶ新藏公路の出発点でもある。過去には住民はウイグル人が9割を占め、全国有数の貧困地域だった。
日本人青年は語る。
「街のバスターミナルは閉鎖され、移動手段は列車しかなかったのに、この駅で下車したのはわずか5人ほどだった。駅を降りてすぐ警察署まで連行され、『何をしに来たのか』と職務質問が始まり、パスポートのコピーを取られ、1時間以上拘束された上に『一刻も早くこの街を出るように』と言われた」