最新記事

チベット問題

焼身しか策がないチベット人の悲劇

2017年8月1日(火)12時10分
ケビン・カリコ(マッコーリー大学講師)

抗議の芽からつぶされ

だが、自殺の現実はもっと複雑だ。それは中国によるチベット支配と同じだけ長く続いてきた、抗議行動の一部である。50年代の東チベットで中国が進めた「民主改革」に対する蜂起、80年代後半の文化的・政治的支配への大規模抗議、北京五輪前の08年3月から数カ月間、チベット高原に広がった暴動――。

08年の抗議は中国政府の容赦ない弾圧を受け、その後はチベットの警察国家化が進められた。中国人民解放軍がチベットの通りを徒歩や装甲車で回り、全てがビデオカメラで撮影された。検問所は人々の行き先を管理し、特にチベット人を狙って監視。国外のジャーナリストや研究者がチベットに入ってこうした動きを監視したり、報道したりすることは禁じられた。

最も狡猾なのは、世帯レベルで監視を行うシステムだ。社会福祉制度に関連付けて各都市を「地区」に分割し、リアルタイムのデータを集める。それを治安当局者が分析し、不穏な動きの兆候があるかどうかを調べる。

その結果は非常に満足のいくものだったため、同じような問題を抱える新疆ウイグル自治区にもこの制度が導入された。

全てを監視し、追跡するというチベットの治安強化は集団的な抵抗運動を事実上、不可能にした。大規模な抗議に発展する前にその芽はつぶされる。誰かがチベット独立やダライ・ラマの帰国を支持するスローガンを叫んでも、その声を聞かれる前に本人は姿を消すことになる。

これらは全て、中国が目標とする安定強化の証しに思えるだろう。しかし焼身自殺という抗議行動を生んだのが、まさにこの「安定」だ。

チベット人作家であるツェリン・オーセルは近著『チベットは燃えている』で、焼身自殺は計画なしに自分1人ですぐに実行できるし、止めるのはほぼ不可能だと書いている。と同時に、抵抗のメッセージをはっきり伝えることができる。あらゆるものが禁じられるなか、何かを主張するには最も印象的な手法だ。

【参考記事】ダライ・ラマ亡き後のチベットを待つ混乱

過熱するプロパガンダ

中国政府の安定維持に対する信仰に近いこだわりのせいで、チベットでは焼身自殺以外の抗議活動はもはや不可能なのが現実だ。一方で、宗教的な弾圧やチベット人の2級市民扱い、格差の拡大といった人々を抗議活動に追いやる要因は変わっていない。焼身自殺は今や、大義のための自己犠牲の1つの形として、文化的・宗教的な重要性を帯びるまでになっている。

地元当局者には、焼身自殺を食い止めよという強いプレッシャーがかけられている。だがこの「安定教」の熱心な信者である彼らにとって、さらなる抑圧以外に採るべき道はない。焼身自殺した人々の家族は逮捕され、遺体は警察から返還されず、時にはその出身地の町や村まで連帯責任を負わされ、政府の補助金打ち切りという罰を受ける。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 8
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必…
  • 9
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中