家族でなかった者たちが作る家族──ウガンダの難民キャンプにて
子供たちを連れてウガンダに来た。
けれどまだ名前もない乳児は熱気味で、自分からも子宮痛が消えない。
苦しい状況だった。そしてその苦しさはスーザンさんだけでなく、何事もなくふるまっているビッキーたちにしても同じだろうと思った。たくさんの家族を亡くし、自分たちも暴力をふるわれて今があるのだろう。
広報の谷口さんが俺のかわりに質問した。
「厳しい問いになりますが、体が治ったら何をしようとお思いですか?」
するとスーザンさんは即答した。ビッキーが訳した。
「畑を耕したい。食べ物を作ります」
一方で、ではビッキーたちはなぜ彼女のそばに付き添っているのだろう。
スーザンさんと知りあいか聞いてみると、この入院病棟で出会ったのだという。
ビッキーの横に座っている女の子が流産して治療中であり、その10代の彼女に付き添って、ビッキーは病院に来た。そもそも彼女たちも難民居住区で知り合ったのだった。
そして二人は、自分たちと同じように苦難に襲われているスーザンさんを見かけ、隣のベッドに腰をかけて彼女に話しかけていたのだ。
「家族でなくても」
と谷口さんが言った。そのあとの言葉は涙とともに外に吐き出された。
「家族のように寄り添っているんです」
そして谷口さんは泣いてしまったことを急いでスーザンさんたちに謝り、心をこめてこう言った。
「どうか皆さんが故郷に帰れますように」
俺もそれしか考えていなかった。
ビッキーは明るい顔で言葉を訳し、ありがとうとにこやかに答えた。
俺にはうなずく以外、出来ることがなかった。
いつかこの利発な、優しい、どうか平和な暮らしを取り戻して欲しいビッキーを主人公にした短編小説を書きたい。何になるわけでもない。しかしせめてそういう苦しみの中にいて微笑んでいる10代がいること、彼らが願う通りの幸福が訪れる様を、他の誰かに伝えたい、と俺は思ったのだ。
ビッキーたちの写真も撮ったが、むろんここでは紹介しない。どうかたくさんの想像力で彼女たちを身近に感じて欲しい。
また会いたい。
続く
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。