家族でなかった者たちが作る家族──ウガンダの難民キャンプにて
入院病棟へ
汗ばんだ表情で言葉少なに説明をしてくれるラシュールと写真を撮って彼の偉大な仕事を称え、元の外来診療所に戻ったのが9時半。
そこから今度はMSFがいまだに管理している入院病棟を訪問することにした。こちらは「ゾーン4」の中にあるそうで、移動に一時間ほどかかった。途中でよく見かけたのは土壁で出来た各戸の前に太陽光パネルが立て掛けられているような光景で、それは住人の消費電力量ならばそれで十分なのかもしれなかった。前近代的な家の前の、近未来的な自然エネルギー技術という組み合わせはひとつの希望を俺に与えた。
入院病棟は左右ふたつの建物(もちろん木材と遮光の布で出来ている。まるでそれがアフリカの一部の伝統であるかのように)に分かれ、その間の廊下の奥にさらに建物があるという、どこか美学がありそうな形式で作られていた。
妊産婦ケアが中心だということで、感染症やマラリア、HIVへの対応もしているし、産後すぐのお母さんたちがベッドで休んでいる姿も見た。その中に乳幼児を抱いた若い女性がいて、すぐ横のベッドにはもっと若い、おそらく10代だろう女の子が二人、腰をかけて静かに話しかけていた。
その二人の女の子のうち、''ビッキー・ジョジョはきれいな発音の英語を話すので、ふとした挨拶から始まって彼女を通訳としたインタビューになった。子供を抱いているのは26才のスーザン・ジュルさん'''で、つい数日前に赤ん坊が生まれたのだそうだった。しかし、どこからいらしたんですか?と質問すると、スーザンさんの顔から微笑が消えてしまった。
「南スーダンからです」
リールという土地から徒歩で国境を越えたスーザンさんは、お腹に子供がいる状態で他の3人の子供を連れて来たのだそうだ。
俺たちには聞かねばいけないことがあった。
「どうして逃げていらしたんですか?」
まだ訳されないうちに、あたりに沈黙が漂った。そのすぐあと、ビッキーが小さく笑った。訳しにくいことを言われてしまったというとまどいと、俺たちに罪悪感を与えたくないという気配りがわかった。
ビッキーがスーザンさんに翻訳し、もはや表情を変えないスーザンさんが淡々と答えるのをビッキーが俺たちに伝えた。ビッキーは言葉を伝える間にもスーザンさんの顔をじっと見ていた。
銃撃を受けたそうだった。激しい銃撃を。
そこで兄弟姉妹は殺された。
埋葬も出来ないまま、彼女は逃亡した。