劉暁波の苦難は自業自得? 反体制派が冷笑を浴びる国
「一線を越えるな」という教訓
従って中国政府は、劉のようにあからさまに体制を批判する人々については、話題にすることも比較的容認する。服役中の劉がノーベル平和賞を受賞したときも、政府の報道統制による1週間の沈黙を挟んで、中国メディアは一斉に受賞決定を非難した。
劉のような人物は、格好の教訓になる。一線を越えれば破滅する、それは自分の責任なのだ。一線を越えたらどうなるかは明白だが、問題は、不注意で越えてしまうまで危険なラインが分かりにくいことだ。
私の友人のおじは建設会社を経営していたが、ある入札で、素性も知らず競合した相手が実は、地元の役人とマフィアが関わる会社だった。彼は誘拐されて工事中のビルの屋上に連れて行かれ、両脚を切り落とされ、放置されて出血多量で死亡した。彼の兄は冤罪で逮捕された。
中国では、国家にとって不都合なタイミングで不都合な場所にいたというだけの理由で、市民はとてつもないダメージを被る。そのような行為は、政府にとって最も危険な不正なのだ。
市民が無関心から目覚めることができるとしたら、歯に衣着せぬ活動家ではなく、普通の犠牲者によって突き動かされたときだ。従って、当局とのありふれた衝突が悲劇に発展した事件の多くは、国内で報道が許されるのは一瞬だけ。事件直後に注目を集めた後は、 議論にさえできなくなる。
一方で、政治的糾弾のプロセスは大々的に宣伝される。例えば、中国政府は13年に、盛り上がり始めたオンライン社会を抑圧すると決めた。そして、中国版マイクロブログ新浪微博(シンランウェイボー)の有名ブロガーだった薜必群(シュエ・ビーチュン)が買春容疑で逮捕され、ブログで人々を扇動した「罪」を自白する姿がテレビの生放送でさらされた。
番組を見た後、知的でリベラルな中国人女性の同僚が私に言った。「彼は警告を受けていたはずよ」
気功集団の法輪功が弾圧を受け始めた頃も、最初は多くの市民が同情的だった。しかし、創設者や幹部が国との対立姿勢を強め、99年に大勢の信者が北京の役所を取り囲む事件が起きると、共感は消え去った。
中国には昔から、人間の運命は現在ではなく過去の罪によって決まるという考え方がある。劉はかつて、中国は「300年間の植民地支配」を経て、ようやく香港と同じくらい文明化されるだろうと書いた。アメリカの対テロ戦争に繰り返し支持を表明し、時には欧米の欠点にあえて目をつぶった。
中国の多くの知識人は、このような過去の言動を引き合いに出して彼を非難した。しかし、大胆な発言や純粋な姿勢が、なぜ長年の迫害と懲役を正当化する理由になるのかは、誰も説明しなかった。誰かを批判して、その口実が見つかれば、自分は安らかな気持ちでいられる。