南スーダンからの80万人
これほどの人数が我が家を捨てて逃げなければならない事態だが、10月には我が国の防衛大臣が7時間の滞在のあと「状況は落ち着いている」と言った。まさにその間、南スーダンの人々は先祖伝来の畑と別れ、家族を亡くし、命からがら国境を越えていた。
「昔からウガンダには、例えばコンゴ共和国やあの大虐殺のあったルワンダから難民はやって来ていたんだが、南スーダンのケースはあまりに数が多い。したがってすぐに計画を立てて出動したんだよ。だけどいつ終わるか、まったく読めない。軍同士の戦いに加えて部族のいさかいも持ち込まれて、混乱した状況が続いている」
そこでMSFはどういう経路で難民のみんなが南下したかを把握し、その人数に応じて数ヶ所に展開をしている。我々が今回取材協力してもらった『国境なき医師団』のOCP(オペレーションセンター・パリ)の他、今ではOCA(アムステルダム)、OCG(ジュネーブ)もそれぞれ活動地を持っているらしく、しかもそれぞれが国連やセーブ・ザ・チルドレンを始めとする他団体と役割分担し、増大する難民たちの移住に関わっている。
世界中の人道団体が、ウガンダ北部で日々救援活動をし、たった半年で80万人を超えてしまった難民への対策に追われている。
例えばMSFでは水からコレラ対策、基礎医療、妊産婦ケア、小児医療、外来診療、入院治療、救急医療、移動診療(アウトリーチ)などなど。
その緊急性を俺は知らずにいた。
まったく恥ずかしいことに。
ブリーフィングを続けるジャン=リュックの笑顔の奥に、一貫した意志と絶望に負けまいとする自己への励ましが潜んでいるような気が、さすがに俺でもし始めていた。
では彼らはウガンダ北部で何をしているのか。それは次回に書こう。
まず予告しておかねばならないのだが、そこにあるのは途方もなく広大な「難民キャンプ」なのであった。
それはそうだろう。もうすぐ85万人になろうという人々がひきもきらず、今この時(2017年5月初旬)も流れ込んでいるのだ。
ちなみにジャン=リュックの息子さんがやってるバンドの音源&映像はこちら。
もうすっごく好み!
続く
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。