トルコを脅かすエルドアンの「ありふれた」独裁
ただし、再度の総選挙で過半数の議席を回復するには、AKPにとって有利な国内情勢をつくり出す必要がある。11月までにいかにそれを実現するか? AKPが見つけた答えが、クルド人との対立激化だ。6月の総選挙で、エルドアンの野望を阻止しようとクルド系のHDPに投票した有権者を取り込むことが目的だった。
15年7月、エルドアンは武装組織クルド労働者党(PKK)の拠点の空爆に踏み切る。首相時代の最大の実績の1つで、13年に実現した政府とPKKの停戦を自ら破ったのだ。
アメリカは停戦を支持していたにもかかわらず、戦闘再開に対してほとんど反応を示さなかった。時折聞こえてきたトルコ情勢関連の発言は、エルドアン寄りのものばかりだ。
PKK拠点への空爆開始直後の15年7月下旬、テロ組織ISIS(自称イスラム国)掃討を目指す有志連合のブレット・マガーク米特使はこうツイートしている。「トルコ内でのPKKによるテロ攻撃を強く非難し、同盟国トルコが自国を守る権利を完全に支持する」
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国際社会は無関心のまま
その理由の1つは、エルドアンがアメリカの望みどおりの決定をしてくれたことにある。
6月の総選挙の前から、米政府はシリアでのISIS掃討作戦展開のため、トルコ南部にあるインジルリク空軍基地の使用を許可してほしいと求めていた。トルコ側はこの要請を拒否し続け、アメリカ主導の有志連合への参加も拒んでいたが、総選挙のわずか数週間後に米軍による基地使用を承認。対ISIS空爆作戦への参加も決断した。
エルドアンはヨーロッパ各国の「黙認」を取り付けることにも成功した。膨大な数のシリア難民の流入に悩んでいたEUは、中東と欧州の間に位置する国として難民・移民対策のカギを握るトルコの協力を得るべく、批判を控えるようになった。
クルド人との戦闘と新たに開始された選挙戦が同時進行するなか、15年の夏と秋は過ぎていった。エルドアンは、AKPが過半数議席を占めることが政治の安定の要であり、トルコにとって最も安全な道だと主張した(不安定状態の主な要因は彼自身の政策にあったのだが)。
そのおかげか、11月初めに実施された再度の総選挙でAKPは過半数議席を回復した。その後に続いたのがメディア、学界、司法や軍を標的にした政治的弾圧だ。たまりかねた軍の一部は昨年7月半ばにクーデターを画策したが、失敗に終わった。