私たちは「聖人君子の集まり」じゃない!
進路を見つけられないまま、インドで放浪の旅をした。人生は長い。自分は何が出来るだろうか。そう思ううち、コルカタのマザーテレサのもとへたどり着いていた。そこには日本人の看護師がたくさんいて、自分も医療系の資格が欲しいと思った。
おまけに私が選んだ看護学校は学費が安かったのだと寿加さんはまた笑った。それで大学を中退し、看護学校に入り直した。やがて築地の国立がん研究センターで働くことにもなった。そもそも自分はMSFに参加したかったのだとその頃にはわかっていたのだろう。
寿加さんはもう迷わなかった。
彼女は国境なき医師団の一員になった。
「南スーダンの任務のことは母親にずっと言えなかったんですよ。そんな危ないところに行ってるのかって言われちゃうと困るんで」
「ああ」
「でも久しぶりに家に帰って酔っぱらってる時、ぽろっと話しちゃって」
「あはは、そうなんですか!」
「あなたは小さい頃から国境なき医師団に入るんだって言ってたわよって、やっぱりそういう道に行ったのねって、MSFに入った時にすでにそう言われてました。理解はしてくれてると思います。心配はもちろんですが」
日本人の機能
それからは谷口さんと二人で、日本人スタッフはどのようにMSFで機能しているかの話になった。
例えばアフリカの活動地ではスタッフの出身国や言語の背景などから、ヨーロッパ系、アフリカ系が各々自分たちだけで集まってしまう場合があるので、その真ん中にいるように心がけているし、日本人はそれを期待されているのだと思うと二人は言った。ほとんどの場合日本語を話す人はチームに一人で、相対的に自己主張が激しくなくなるから、逆に調整機能としてうまく働けるのだという。
日本が平和で外に軍隊を出さないというのも、国際社会で日本人が調整的な役割を果たすのに大きく役立っていたという個人的な感想も聞いた。すでに武器使用を許された部隊の南スーダンへの駐屯が海外でもニュースになっていたタイミングだった。実はこれには他の時間に別の外国人スタッフからも惜しいという声が聞こえていた。
そこに例の音楽家トリオが来た。俺たちが日本人だとわかって、彼らは『昴』を片言の日本語で歌った。我はゆく、あおじらくホーのままて、我はゆく、さらまスバルよー。
その歌詞の中で聞いたのだが、寿加さんは思ったことをすぐに口にしてしまうのでよく注意されるとのことだった。それでアフリカ人に胸ぐらをつかまれ、助けに入ったヨーロッパ人も背の高いスタッフだったので彼らの間で宙を舞っていたらしい。それでも寿加さんは黙らなかったのだろうと思った。他人のこちらから見ればコメディそのものの図だ。