私たちは「聖人君子の集まり」じゃない!
だがそれも日本人で徒手空拳で女性で小さいからこそ成り立つのではないか、とも俺は考えていた。そうでなければ宙を舞うどころか単純に殴りあいになっている。とても殴れないほど弱いからこそ、宙に放り投げるしかなかったし、助ける者も出た。それは実に醒めたリアリズムだ。そのバックで歌は続いていた。ああ、ひつの日か、たれかがくのみちを。
聖人君子ではなく
ぴかぴかの頬をしてニコニコと微笑みながら、寿加さんがこんなことも言っていたのを思い出す。
「これが4回目のミッションですけど、やりたかったことがやれてます。自分で決める裁量も大きいし、プレッシャーを越えた達成感もあるし、わたしは迷いなく活動を続けると思います。ただし......」
「ただし?」
「MSFを聖人君子の集まりみたいに見ないで欲しいんです。こんな風にいつもビール飲んで、文句たらたら言って、悪態ついて、それでも働いてるんです。だいたい、『国境なき医師団』ってなんか四角い感じじゃないですか?」
「そう、いかにもマッチョみたいな、ね」
と女性である谷口さんも言葉を加えた。
「そうそう、でも海外ではMSFなんですよね。もっと丸いって言うか、日常的と言うか、そういう活動だし、集団なんです」
なるほどその通りだと思った。女性的で、しかも活動的。そういう面をMSFの中に見なければ、結局力の強い者が支配する世界は変わらない。確かに俺はハイチでもギリシャでも"丸いって言うか、日常的と言うか"、そんな女性たちを見てきたし、ミッションにはそのしなやかな力が不可欠なのだった。
寿加さんはそれから、フランス語の勉強を始めるつもりだと言った。MSFではフランス語が共通語の活動地も多いからだ。寿加さんはどんどん前進していた。とどまるつもりがなさそうだった。
俺はそのきらきらした、しかも飲んだくれた人の笑い声の生々しさも備えた素敵な力に憧れを感じたし、爽快さも感じた。
楽しくなって三人で宿舎のほうへ帰る道すがら、日本なら小学校低学年くらいの二人の少年が俺の右腹のあたりにすっと近寄るのに気づいた。彼らは寿加さんたちに気づかれないように小さな声で「マネー」とささやき、手を出した。俺は「ノー」と言って首を振った。
しかし彼らは同じ右腹のあたりできょろきょろあたりに視線をやりながら、なおも俺についてきた。刃物を出されたら困るな、と思った。俺は刺されたくなかったし、子供にお金を渡すことで彼らに達成感を覚えて欲しくなかった。もつれる雀たちみたいに、手を出す子供たちはしばらく俺につきまとった。
この国でやっていくのはやっぱりタフなことだ、と俺は遠くに目をやりながら子供たちを恐れ、同時に無視しながら思った。
暗がりにあの男がいて、こちらを見ていた。
次回
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。