最新記事

いとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く

マニラのスラムの小さな病院で

2017年4月7日(金)18時00分
いとうせいこう

すでに3人の子供がいて全員が男の子、上はもう18歳で下が5歳、もうそれ以上に子供は産みたくないし、育てることも出来ない。

これはあとでもまた書こうと思うが、こういう時にフィリピン男性は避妊を"男らしくない"と考えがちなのだと言う。それはかつての日本もそうだったから俺にもよくわかった。

だが子供を育てるのを男たちは女性にまかせっきりにしてしまう。おまけに稼ぎもとうてい足りない。結局食べるものを削るのは母親であり、寝る間も惜しんでアルバイトをするのも女性になる。実は俺自身、たった二人兄妹だけれどそれでも小さな頃は母が昼食を抜いていたと大人になってから聞いた。母親は子供の俺たちにその分の食事を与えていたのだった。ひどく痩せていた母の写真を、俺は今でも机の引き出しに入れている。

俺だけでなく、チャンダさんへのインタビューンのあと、ロセルとそんな構造的な男女差の話になった。彼女は自分が育ってきた環境の中でも裕福さは遠くにあるものだったと言い、俺はとても深く共感した。

そのうち谷口さんが、ギリシャの難民キャンプで出会ったアレッポ出身のアミナさんの話をロセルにした。アミナさんは難民を乗せたボートの上で夫を亡くし、ヨーロッパの受け入れが厳しくなってキャンプで暮らし続けながら、自らの悲劇をじっと耐えていたのだった。

ロセルはつぶらな瞳に涙を浮き出させて何度もうなずきながら、その見知らぬ女性の境遇に思いを寄せた。

すると谷口さんがなぜか俺に話しかけた。

「私はいとうさんの『想像ラジオ』はどの国の言葉に訳しても理解されるだろうなとよく思うんです」

俺にはなんのことかわからなかった。谷口さんはロセルに短く俺の小説の解説をした。巨大な災害と人災によってたくさんの人の命が失われ、生き残った者がどうやってその事態を受け入れるか、いや自分が亡くなっている気づかない者がいかに死を受け入れるか。

ロセルは真剣に聞き、やはりうなずいた。

谷口さんはその上でまた俺に言った。


「残念なことですけど、苦しみは普遍的ですものね。アミナさんのこともロセルのことも、チャンダさんの暮らしも、あの小説のメッセージの中にきっと入っていますから」

そうか、そう言われればそうだったと俺は思った。

ギリシャ取材で現れた機内での人影もまた、そうした普遍性の中で俺の隣に寄り添い、無言でいなくなったのではないか。

俺はやはり代弁者であることの誇りととまどいと偽善への疑いを持ち続けながら、このあとも他人の話を聞き続けるのだ。

次回は日本人スタッフ、菊地寿加さんがなぜ『国境なき医師団』に参加し、どんな日常を送りながらなお活動に闘志を燃やしているのかに、俺は耳を澄ましたいと思う。

続く

profile-itou.jpegいとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

韓国尹大統領に逮捕状発付、現職初 支持者らが裁判所

ワールド

アングル:もう賄賂は払わない、アサド政権崩壊で夢と

ワールド

アングル:政治的権利に目覚めるアフリカの若者、デジ

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 4
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 7
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 8
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 9
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 10
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中