マニラのスラムでコンドームの付け方さえ知らない人へ
外に出ると、風の渡る集会所にはあふれんばかりの人がいた。子供を作る年齢を少し超えていそうな中年男性もいて、道端に立ったままノートにメモを付けていた。あとで谷口さんが話を聞いたらしいが、もう今以上子供を作れば貧しさが深まるばかりだと切実な思いだったようだ。
マイクは別の「女性」に渡っていた。
今カッコをつけたのは彼女が生物学的には男性だろうからだった。しかし髪を伸ばし、口紅をつけ、メイクをし、女性的な仕草で彼女はしゃべった。どうすれば女性が女性の体を守れるかについて、彼女の説明はタガログ語のわからない俺にもいかにもうまく聞こえたし、実際に聴衆はまじまじと見た。
誰一人、彼女の性別を気にしたり、ましてや嘲笑する者はいなかった。
問題は語られている内容であり、それを伝えたい者の熱意であった。フィリピンではたぶんそういうジェンダーがあって当たり前なのだ。
俺はそのことに何より感動し、同時にスラムの中にあるそうした自由な性の先進性と、一方でファミリープランニングの具体例を知らないという事実の住み分けに戸惑った。
しかし「オカマ」だ、「オネエ」だと性同一性の不一致を笑って遠ざける近代の日本人的不健康さが彼らに一切ないことは明らかで、それが差別だらけの世界の中で光明のように俺の心を救ったのは確かなのであった。
追記
さてここで、シリーズ1で訪問したハイチの現在の状況を少し書かせていただく。
【参考記事】いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く1
昨年10月に大型ハリケーン、マシューがハイチを直撃し、いきなり800人以上の死者が出た。俺の出会ったスタッフたちもこの深刻な事態の中で力を尽くしたことだろう。
谷口さんに調べてもらったところでは、昨年12月中旬になっても南西部の被災者に住まい、食料、安全な水がないそうで、いったん活動をハイチ政府に引き継いだ場所でも、MSFは一部で医療活動を再開。
今年1月には山間部1万世帯を対象にヘリコプターで住居再建のための資材を提供し始めたとのことである。
幸いなのはコレラの新規患者の増加が12月初旬から沈静化したこと。
ただし一方で「性暴力被害専門クリニックの患者さんが増加の一途をたどっています。特に、未成年で被害に遭った方が多く、その割合の高さ(半数以上)に、現地スタッフも衝撃を受けているとのこと。CNNがオンラインで写真特集を組んでいます」ということで、これは本当に胸が痛い。
CNN:Survivors of Haiti's rape crisis
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。