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行動遺伝学

収入を決めるのは遺伝か親の七光りか:行動遺伝学者 安藤教授に聞く.2

2017年2月24日(金)16時30分
山路達也

親の資産は、子どもの将来と関係ない?

――収入と遺伝の相関の話が出ましたが、これに関して疑問があります。例えば、先祖から財産を受け継いだ資産家なら、不労所得で食べていけるわけじゃないですか。それこそ家の庭に油田が湧いているなら、遺伝的な素質と収入は無関係ということになりませんか。

安藤:しゃくだけど、そういうことはありえそうな気がしますよね。金銭的な資産であれ文化的な資産であれ、もしその家に育つ人が同じように恩恵を受けるのだとすれば、共有環境としてその影響が出てくるはずです。でも先にも述べたように、確かに若いうちは共有環境の影響が強いのですが、45歳になるとその影響はほとんどゼロになり遺伝的な影響の方が強くなります。

超富裕層に関しては、全体に占める割合が圧倒的に少ないので、僕たちが調べている統計には出てきていないのかもしれません。どうしてもサンプル数が少なくなってしまうため、行動遺伝学のスコープからは外れています。収入にしても1500万円以上については一括りにしてしまっていますから。そうした視点を持った方といっしょに、もっと本格的な研究がしてみたいですね。

僕自身、行動遺伝学の研究を行っていながら、収入や家族の文化的傾向(音楽やスポーツなど)に関する共有環境の影響が少ないことは不思議に感じています。「食は三代」などといいますが、政治家や芸術家などにしても、二代目、三代目で本当にすごい人が出てくることは多いような気がするじゃないですか。

――音楽なら音楽にだけ没頭できるとか、若い時から仕事に巡り会うチャンスが多くて才能を開花させやすいといったことはありそうですよね。

安藤:個別の事例は多いんですが、まだエビデンスがないため、確かなことが言えません。ただそれでも、文化的なものを含めた代々の資産で、本人の収入や社会的なポジションなどをすべて説明できる、ということにはならない気はします。同じ親からも異なる方向性をもった遺伝的素質の子が生まれることはけっこうあるし、親の資産を食いつぶす子どももけっこういますからね。

個人差を包摂した社会

――アメリカではトランプが大統領になり、移民の入国を制限する大統領令を出しました。ヨーロッパでも移民の制限を主張する政党が勢力を拡大していますが、そうした政策を支持する人たちが増えているということですよね。これらの動きをすべて遺伝で説明しようとするのは不適切だと、書籍には書かれていました。しかし、「あらゆる能力は遺伝の影響を受ける」というのであれば、他人に対する共感性や想像力についても個人差があるのではないでしょうか? また、「あらゆる文化は格差を広げる方向に働く」ということですが、ソーシャルメディアなどのツールがこうした共感性や想像力の格差を広げているということはありませんか?

安藤:そういう風にも言えるかもしれませんね。しかし、科学的な知見を、社会的な行動に移す際の原則は、自然主義的誤謬をしてはいけないということ。要するに、「事実がこうである」ということと、「こうであるべき」ということをすり替えてはいけません......と言いつつ、前回の記事で僕も教育の無償化については、「確信犯的に」このすり替えをやりましたが。

「自分たちと違う奴らと交わりたくない」という人たちが一定数いることが事実であっても、そういう人たちを排除することがよいことかどうかはまた別問題です。その解がどんなものになるのかは僕にはまだわかりません。ただ1つ明確だと思われるのは、特定の人を排除することを正当化するロジックは成り立たないと思うんですよ。そのロジックによって、自身も排除されるわけですから。

2016年の相模原障害者施設殺傷事件を起こした犯人は、「障害者なんていなくなってしまえ」という趣旨の供述をしていると報道されましたが、その結果本人が危険人物として社会から排除されました。

移民が多くなることで職が奪われたりテロの潜在的脅威が増す、健常者が食うのに困っているのに障害者がぬくぬく生きている、そんなのは理不尽だ、だから移民入国を制限しろ、障害者はいなくなれ。問題を視野狭窄的にそこだけ見れば、一見それが問題解決になるように見えるのかもしれない。しかしそうして排除された人たちはどうなるのか。そうさせている原因は、排除しようとする人たちにもあるんですからね。気に食わないヤツがこの世界からいなくなっても問題解決にはならないなんて、ちょっと想像を働かせればわかることじゃないですか。

トランプのやり方についても、たぶんそのままやろうとしてもうまくはいかないと思います。ただ彼を選んだ人があれだけいるという事実は、そういう想像力すら働かせられない状況がまだ解決してないアメリカ社会を、そして人類史の今の段階を表しているということなんでしょう。

遺伝的多様性をもつ人たちの誰もが、自分の欲望と他者の間で、折り合いを探る。そしてどんな遺伝的組み合わせで生まれてこようと、生まれてきた以上、そのすべてがきちんと生きていける仕組みを作り続けようとする。政治も科学と同じくデータに基づいて人々の不満を改善し、システムの不具合を検証し、また別のところで不具合が出たらそれを改善していく。そのプロセスを試行錯誤で繰り返すしか、人類が、生命が、生き延びる道はないでしょう。AIやゲノム編集の技術なんかも、文化的意思決定や遺伝資源の均質化に向かうのではなく、遺伝的多様性、生物多様性という生命の本質に逆らわず、そういった方向に生かされるのであればいいんですが。

今の世界は「こうすべきだ!」という感情論を唱える人が現れて、それが人々を扇動していますが、そういう時代はさっさと通過してもらいたいものです。そういう意味で、人類史はまだ始まったばかりなのかもしれません。

<プロフィール>
安藤 寿康(あんどう じゅこう)
1958年 東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、慶應義塾大学文学部教授。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学。主に双生児法による研究により、遺伝と環境が認知能力やパーソナリティに及ぼす研究を行っている。著書に『遺伝子の不都合な真実』(ちくま新書)、『遺伝マインド』(有斐閣)、『心はどのように遺伝するか』(講談社ブルーバックス)など。

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