アパホテル問題の核心~保守に蔓延する陰謀史観~
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。(中略)これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
(出典:田母神論文(アパ公式サイト)、強調筆者)
更に田母神は、「実はアメリカもコミンテルンに動かされていた」(同)などといって、日米交渉の「最後通牒(-実際にはそれ以前に日本は対米開戦を決意していたのだが)」たるハル・ノートの起草も、コミンテルンのスパイ分子によるものだと断定して、日中戦争から日米戦争までの15年戦争の流れの背景にあるものを一貫して「コミンテルンの陰謀」に求めている。田母神はその根拠として、以下3冊の書籍を「引用部分を示さないまま」に、列挙している。3冊の書籍とは「マオ 誰も知らなかった毛沢東(ユン・チアン)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論(黄文雄)」、「日本よ、"歴史力"を磨け(櫻井よしこ編)」である。
「コミンテルン陰謀史観」を信じた時系列は、元谷氏が先か田母神が先かは、鶏が先か卵が先かの堂々巡りと同じで不毛であるが、いずれにせよ元谷氏と田母神ははるか以前から「コミンテルン陰謀史観」なるものを共通して信奉し、そしていつしかこの「コミンテルン陰謀史観」は広く保守界隈と、それに寄生するネット右翼(保守)界隈にとって「正史」として広く受け入れられていく。
2016年に田母神は公選法違反で逮捕・起訴され、保守界隈内部での地位は揺らいだが、依然として元谷氏が自書の中で述べているのでわかる通り、「ポスト田母神」以降の保守界隈でも「コミンテルン陰謀史観」は「日本が中国を侵略したわけではない」ことの根拠として平然と用いられ、それが延伸して「日米戦争もコミンテルンの陰謀」と、あの戦争の肯定の根拠として広範に用いられているのである。
保守系言論人の言説を「オウム返し」する傾向が強いネット右翼(保守)の中にも、この「コミンテルン陰謀史観」は必ずと言ってよいほど頻出する精神世界である。日本はコミンテルンの謀略によって「嵌められた」被害者であり、よって南京事件も日本のイメージを失墜させるためにコミンテルンが計画した謀略だ、というのがその世界観の骨子である。これはつまり冒頭にあげた元谷氏の精神世界と全く同一といってよい。
コミンテルン陰謀史観は正しいのか?秦郁彦氏による分析
はてさて、この「コミンテルン陰謀史観」とは歴史学的にはどの程度正しいといえるのだろうか。「コミンテルン陰謀史観」を、一刀両断のごとく喝破したのが歴史学者の秦郁彦氏である。秦氏はその著書「陰謀史観」(新潮社)の中で、田母神が2008年にアパの「真の近現代史観」論文の中で開陳した「コミンテルン陰謀史観」を「田母神史観」と命名し、以下のように鋭利にこの「史観」のトンデモ性を指摘している。