アパホテル問題の核心~保守に蔓延する陰謀史観~
くだんの田母神論文は「ソ連情報機関の資料が発掘され......最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている」と書いた。根拠としてあげられているのは、『マオ 誰も知らなかった毛沢東』のほかに『黄文雄の大東亜戦争肯定論』と櫻井よし子編『日本よ、「歴史力」を磨け』だが、後の二冊は『マオ』の受け売りだから、同じ周り灯篭を眺めたに過ぎないともいえる。(中略)田母神俊雄は「盧溝橋事件にしても、中国軍が最初に発砲したことは今では明らかになっている」と述べた後、「侵略どころかむしろ日本は戦争に引きずり込まれた被害者である」と断じる。さらに飛躍して「実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた...目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった」と結論づけた。「シナ事変をはじめたのは中国側で、泥沼にひきづり込んだのはアメリカとイギリスでした」と論じる渡辺昇一史観と同工異曲かもしれない。因果関係を説明するのに、結果から原因へさかのぼる安直な論法だが、コミンテルン陰謀論者の間では珍しくない。蒋介石ばかりかルーズベルトや東条英機でさえも被害者に仕立てられるのだが、さすがに直取引は説得性が弱いと考えてか、側近や部下たちのシンパやスパイに踊らされたという構図にする例が多い。
(出典:秦郁彦著『陰謀史観(新潮社)』P.158、P.170~171、一部書籍名を補足、強調筆者)
この他にも秦氏は明確な歴史的根拠を分析して「田母神史観=コミンテルン陰謀史観」なるものをことごとく撃砕している。そして上記引用でも述べたように、田母神の根拠とした3冊の書籍は、ユン・チアンによる『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(日本刊行2005年)の受け売り(黄文雄、櫻井よし子)であることを見抜いている。ユン・チアンによる『マオ 誰も知らなかった毛沢東』を黄氏や櫻井氏や或いは田母神がどのように「受け売りしたのか」の詳細な分析は「学問的に無意味」と考えて秦氏は記述していないが、あえて私が書くとすると、まず最初にユン・チアンの、
計画(上海事変)の首謀者が蒋介石ではなく、ほぼ間違いなくスターリンだった、という点である。(中略)スパイは張治中という名の将軍で、(中略)モスクワは国民党軍の高い位置にスパイを送り込もうという確固たる意志を持っていた。
(出典:『マオ 誰も知らなかった毛沢東』戦争拡大の影に共産党スパイ P.341、一部要約あり)
などがあり、それを黄(2006年)、櫻井(2007年)が追認していった、というのが時系列的に正しい説明であろう。そして2008年の田母神論文(2008年)と結実する。つまりユン・チアン(2005年)→1年後に黄、さらにその1年後に櫻井、そして3年越しに田母神と、この「コミンテルン陰謀史観」は培養されていったのである。
このような保守界隈で「正史」となっていったゼロ年代後半の「コミンテルン陰謀史観」の総決算が田母神論文であり、今回の「アパホテル問題」は、現在でも根強く残る、何ら歴史的根拠のないこの時期に培養された「コミンテルン陰謀史観」の残滓たる、「氷山の一角」なのである。
素人でもおかしいと分かるコミンテルン陰謀史観
仮に歴史の素人でも、ソ連のスパイが毛沢東や蒋介石などを通じて日本を意のままに操り、やがてそれが日米戦争にまで進展するという歴史観は、裏返すと「ソ連のスパイに騙されて大戦争をするほど、当時の日本人は馬鹿だった」と言っているのに等しく、これこそ自虐史観の総本山のように思えるのではないか。「コミンテルン陰謀史観」を採用すればするほど、当時の日本や日本人は、ソ連のスパイに騙されて操られるくらい、馬鹿で愚鈍であったと自虐しているに等しいであろう。