「弱者の中の弱者」の場所:アレッポ出身の女性に話を聞く
アダムの言葉
カラ・テペ難民キャンプにはその時点で500強の仮設住宅に1500人が暮らしていることを、俺はそのキャンプ全体の中心部に立ちながら聞いた。見回すとそれぞれの方向に道があり、砂ぼこりが舞い、点々とオリーブの樹が生え、子供たちが見え隠れし、その上を雀が飛んでいた。向こうになだらかな山並みが見えた。
子供たちの後ろには親がいた。アフリカのゆったりした服、中東の白い着衣、西アジアの女性の腰に巻かれた布が目についた。色とりどりの、様々なデザインが行き交っていた。
この豊かな国際性はなんなんだ、と頭が混乱した。国や文化を越えてひとつのエリアに住む者たち自体は、まるで世界共和国の具現化に見えた。それが砂の舞う太陽の下に、あたかもアメリカ西部劇のようにあった。
けれど彼らはそれぞれの場所を追われてそこに逃げ込んでいるのだった。好んで国際的なのではむろんなく、世界そのものが各地で人を支えきれなくなっているからこそ、俺が目の前に見ている民族を超えた「町」が出現しているのだ。
「ここはまだいい方だ」
とアダムは俺の心を見透かすように言った。
「彼らはファミリーのままでいられる。ただし誰かは必ず、拷問や暴力に遭った人。あるいは病人だ。弱者中の弱者がここに集まっている。そしてきわめて平和に暮らしている」
俺は聞いて胸が張り裂ける思いになった。
世界各地で傷つけられ、移動中に犯され、怪我や病にさいなまれ、今彼らは誰も暴力を受けない「町」に共存しているのだ。
道を走って横切る子供がいた。
オリーブの樹の影で椅子に座る老人がいた。
住宅の前で女性たちが話し込んでいた。
働き盛りだろう中年のアフリカ人がただ立って目を細め、遠くを見ていた。
乾いた葉がこすれる音がした。
黙り込む俺にアダムは言った。
「ここに平和があるからといって、もちろんこういうキャンプがあってはならない。我々は根本にある問題の解決を望みながら、世界に訴え続けるしかないんだ。そしてその間、あらゆる傷に絆創膏を貼る」
その"傷に絆創膏を貼る"というのが『国境なき医師団(MSF)』の、彼ら自身を例える表現であることを谷口さんが教えてくれた。彼らは過酷な現実を外界に伝えながら、被害者たちの傷を癒し続ける。
解決自体は各国の政治家が行わねばならない。だからMSFは証言と、必要なら訴えを怠らず、同時に現場へと赴いては"絆創膏を貼る"のだ。