南スーダンは大量虐殺前夜
決議案の内容を問題視する声もある。今回の決議案には、武器の流入阻止だけでなく、特定の南スーダンの政府指導者の資産凍結や渡航制限といった「ターゲット制裁」が多く含まれており、これが日本などのPKO参加国に二の足を踏ませる結果をもたらしたというのだ。
アメリカはタイミングを逸したと語る外交官(匿名を希望)もいる。ジュバで政府軍と反政府勢力が衝突し、PKO部隊や国際援助機関に犠牲者が出た今年の夏だったら、武器禁輸決議の採択はさほど難しくなかったはずだという。「アメリカはあのとき躊躇した代償を払うことになるだろう」
そもそもアメリカが2年以上も決議案の提出を遅らせてきたのは、民主的に選ばれた政府が反政府武装勢力に対抗する能力を奪うことになるとして、スーザン・ライス大統領補佐官(国家安全保障問題担当)が消極的な姿勢を示してきたから。ライスは、ウガンダなどの近隣諸国が武器の供給を続けて、決議の効果がなくなることも懸念した。
南スーダンは11年に住民投票によって独立を決めたが、13年にサルバ・キール大統領(ディンカ族)がリエク・マチャル副大統領(ヌエル族)を解任して、両者の確執が表面化した。やがてキール支持派がヌエル族の市民を虐殺し始めたため、マチャルは反政府武装勢力を組織。権力闘争は、多数派のディンカ族対それ以外の少数部族、という民族紛争に発展していった。
それでも昨年8月にはいったん和平合意が結ばれ、今年4月にはマチャルが副大統領に復帰。南スーダンは危ういながらも安定を取り戻したかに見えた。ところが7月にジュバで戦闘が再燃し、数百人の市民が虐殺され、マチャルは国外に逃亡。南スーダンは内戦状態に逆戻りした。
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アメリカはこのときマチャル支援を打ち切り、露骨なディンカ族優遇政策を取るキール政権を支持した。するとマチャルは、自分を支持する武装勢力に戦闘再開を呼び掛け、いずれ自らも南スーダンに戻ると約束した。
新たな民族浄化が始まる
7月から10月までに、ジュバから東エクアトリア州、西エクアトリア州に避難した住民は20万人以上。それとともに戦闘もジュバから東西エクアトリア州、西バハル・アル・ガザル州、上ナイル州、ユニティ州へと拡大した。
国連の専門家パネルによると、南西部の町イェイでは、主にディンカ族で構成される政府系武装勢力がレイプ、裁判なしの処刑、拉致、拷問、略奪、家屋の焼き討ちを行っている。
「(ジェノサイドの)兆候は確かに存在する」と、南スーダンから帰国したアダマ・ディエン国連事務総長特別顧問(ジェノサイド防止担当)は先月、国連安保理で報告した。「私が南スーダンで話を聞いた人々は皆、権力闘争が明らかな民族紛争に変貌しつつあると認めた」
「今ならまだジェノサイドの引き金となる要因の一部に対処できるし、対処しなければならない」と、ディエンは訴えた。