スー・チー氏の全方位外交と中国の戦略
つぎに9月14日にホワイトハウスでオバマ大統領と会談しており、日米中の関係で言うならば、日本は3番目の訪問国と位置付けられたことになる。
日米中の間で――ドゥテルテ氏にも似た"漁夫の利"外交か?
実は今年4月5日に中国の王毅外相がスー・チー氏と会談すると、その1カ月後の5月3日に日本の岸田外相がミャンマーに飛びスー・チー氏と会談している。
この時点では、「スー・チー氏の、ASEAN(東南アジア諸国連合)以外の国の最初の訪問国は日本になるだろう」と日本は期待し、「日メコン連結性イニシアティブ」など多くの経済的および人的支援を約束している。
ところが中国もまた早くから戦略的にスー・チー氏に外交攻勢をかけていた。
中国・ミャンマーの関係は複雑で、カギを握っているのはミャンマー北部(中国との国境近く)に集中している「少数民族武装勢力の扱い」と「ミャンマー国防軍」との関係である。
スー・チー氏が昨年11月の選挙に勝つには、少数民族武装勢力問題をどのように解決し、軍部を説得できるか否かが、大きな課題の一つとしてあった。中国は、そこに焦点を当てて、2015年6月にスー・チー氏の訪中を実現させたのである。少数民族武装勢力問題の解決には、中国の協力は不可欠だ。なぜなら15ある武装勢力のうちのいくつかは中国系だからである。
そのため習近平主席は、2015年6月の会談で、少数民族武装勢力問題を解決する「和平へのプロセス」を強調し、11月に行われる総選挙に関して、スー・チー氏が率いる野党・国民民主連盟に有利に働く道を示したのである。したがって圧勝したスー・チー氏側は、中国の力の大きさを重要視して、訪米よりも先に訪中を選んだのだと、中国メディアは報じている(つまり、中国の協力があったからこそ勝利できたという位置づけなのである)。
もし訪米を優先したとすれば、ASEAN地域におけるパワーバランス、あるいは南シナ海問題などで、中国との対立軸を生む。
それだけは避けたいとスー・チー氏は判断したのだと、中国側分析は続く。