日本人の無自覚な沖縄差別
当然ながら、この企画には多くの抗議が寄せられる。
なかでも沖縄の新聞は「同胞に対する侮辱」であるとして、連日、大キャンペーンを張った。
当時の沖縄紙は「沖縄人が憤慨に絶えざるの一事これあり候」「設立者の意図は野蛮風に見せるのが明らか」「虎や猿の見世物と変わらない」と怒りの筆致で埋められた。
一方、沖縄知識人の一部は「日本への同化」を急ぐあまりにも、この事件を"利用"した。
これら知識人は"展示"された琉球人が娼妓であったことから、「よりによって賤業婦とは」と、露骨な女性差別、職業差別を繰り返した。さらに台湾先住民などに対しても「一緒にしないでほしい」といった論調も展開している。「日本人」として認められないことへの憤怒でもあったのだ。
下が下を蔑む日本の差別構造
貶められた者が、さらに下位に位置付けたものを貶めるといった、差別の連鎖を表面化させた。日本の同化政策、多民族への差別意識といった様々な問題が見て取れる。
そうした点からも、人類館事件は多くの問題を提起している。
結局、沖縄側からの抗議によって「琉球人展示」は開催半ばで中止となったが、人類館は万博終了まで"見世物"を続けたのである。
各国からの非難も相次ぎ、その後の万博において、人類館のようなパビリオンは登場していない。
だが、生身の人間が"展示"されたという事実は消えない。
「土人」発言に沖縄の人々が怒りを抱くのは、こうした忌まわしい歴史を思い出すからでもある。
大阪市立中央図書館所蔵「第五回内国勧業博覧会写真帳」より。この写真の右手に「人類館」があった
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そもそも、米軍専用施設の7割以上が、国土の0・6%しかない沖縄に集中していることじたいが、不均衡・不平等である。
沖縄の多くの人たちが発しているのは常にシンプルな問いかけだ。
「沖縄に基地は多すぎませんか?」
何十年間も、この問いかけを投げては無視されてきた。いや、それどころか「本土」は自らが抱えた米軍基地を沖縄に追いやってきたのではなかったか。
富士や岐阜にあった米軍の海兵隊基地は住民の反対運動によって撤去された。しかし、日本から消え去ったわけではない。これらはすべて沖縄に移されただけなのである。そして、沖縄ではどれだけ基地反対運動を続けても、基地が動くことはない。
これは差別ではないのか。
第二次大戦で沖縄が戦場となったとき。日本軍が沖縄住民をスパイ視して虐殺した事例は、「本土」の人間は忘れても、沖縄ではいまでも語り継がれている。
2011年にケビン・メア元米国務省日本部長が「沖縄はごまかしとゆすりの名人」と発言した際、「本土」は本気で怒っただろうか。
ひとつの風景がよみがえる。