ポスト冷戦の民主党を再生させたビル・クリントン
大統領になってからも仕事に集中しているときは同様の傾向を見せ、ホワイト・ハウスのスタッフの間では、「大統領は不眠症ではないか」という噂が出るほど、活力的だったという。
クリントン政権で統合参謀本部議長を務め、ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官になったコリン・パウエルが「何でも吸収するスポンジのようだ」と形容したように、記憶力のよさもずば抜けていた。
彼の自伝を一読すればわかるが、クリントンは有名無名を問わず、一度でも会ったことのある人物の顔と名前、行ったことのある都市の街並みや風景、はるか昔の地方選挙の思い出にいたるまで、絶対に忘れないのである。
大統領就任後のあるとき、クリントンはある人物と親しげに話しこんでいた。それを見て側近が尋ねた。
「ちょっと、教えてください。あの人はどなたですか?」
クリントンはその人物との出会いについて、詳細に説明しはじめた。「1986年に私が全米知事会議に出たとき、教育改革に関する白書を書くように言われてね。彼は某知事のスタッフで、それで〔後略〕」
「なるほど、興味深いお話ですね。あの人とはその後も連絡を取っていたんですね?」
クリントンは首を横に振った。「いいや。それっきり会ってない」
側近はクリントンを見て言った。「10年前にたった1回会ったきりですか?」
クリントンは側近の目を見て答えた。「一晩一緒に仕事したんだよ。どうして彼のことを忘れられる?」
また、クリントンはアーサー・シュレジンジャーといった高名な学者からは強靭なレジリエンスを長所と指摘されてきた。
彼の人生は公私ともにトラブルの連続だったと言っても過言ではない。貧しかった幼少期、州知事の再選に失敗、88年の民主党全国党大会の演説での大失敗、あるいは92年の民主党予備選挙においてスキャンダルに足をすくわれそうになったとき、政権発足後の弾劾騒動――。
クリントンは、トラブル発生後は即座にダメージ・コントロールに取り掛かり、いつも短期間で失地を挽回した。
過ちを犯すことは避けられないとしても、被害の拡大を最小限にとどめ、立ち直る努力をする。そして、どんな困難に直面しても決して人生への情熱を失わないのが、クリントンだった。
政権初期にクリントンの相談役を務めたデイビッド・ガーゲンは複数の大統領に仕えたが、クリントンのレジリエンスはほかの大統領とは比べようがないほど強靭だったと振り返る。ガーゲンは、この点ではリンカーンに比肩する強さを持った大統領だと評価している。
彼の政治家としての成功は、ひとえに彼の人格的優越によるところが大きいであろう。