シモン・ペレスが中東に遺した「楽観主義」
Palestinan Authority-REUTERS
<不屈の決意で中東に束の間の和平をもたらしたイスラエルのシモン・ペレス前大統領の死は、必ずしも中東和平の死を意味しない> 写真は、ペレス(右)とヤセル・アラファトPLO議長。年代不詳
9月28日に93歳で死去したイスラエルのシモン・ペレス前大統領は晩年、イスラエルにとって最後の「平和の象徴」だった。シオニズムを目指して政治家になり、パレスチナとの和平に反対する右派強硬派の圧力に屈せず中東和平を追求した。1948年のイスラエル建国当時から政治の表舞台に立ち続けた、数少ない政治家の一人だった。
束の間の黄金期を築いた1990年代には、イスラエルを国家と認めていなかったパレスチナ解放機構(PLO)と秘密裏の和平交渉に臨み、パレスチナ暫定自治を決めた1993年のオスロ合意の立役者になった。その翌年、当時のイスラエルのイツハク・ラビン首相とヤセル・アラファトPLO議長とともにノーベル平和賞を受賞。あの頃のペレスは、イスラエルの負の遺産である紛争を永久に終わらせることだけを夢見ていた。
だが建国から60年以上にわたる歴代政権で国防相から交通相、大統領、首相にいたるあらゆる役割を担ってきたペレスでさえ、イスラエルのために追い求めた和平を実現することはできなかった。彼はユダヤ人とアラブ人の居住区域の分割を提案した初期の政治家の一人でもあり、当初はヨルダン川西岸地域へのユダヤ人入植も支持していた。和平を追求する理由について、心の苦痛からではなく、イスラエルに安全をもたらすために必要だからだと公に認めていた。
和平を断念する者は現実的でない
2014年11月に中部テルアビブのラビン広場で大観衆を前に行った演説は、ペレスの政治哲学を思い起こさせる内容だった。
「和平を断念した者は幻覚を見ている。あきらめて和平を追求するのをやめる者は、だまされやすく、国を愛していない。現実を直視して幻覚を見ず、だまされないためには、鋭く、明確で、永久に変わらない基本的な真実を認知する必要がある」
「和平を実現しなければ、イスラエルに永遠の安全は訪れない。経済を安定して繁栄させることもできない。貧困や差別のない健全な社会も築けない。ユダヤ人が誇る民主的な特性を守り抜くチャンスもない。もし現状でいいと考えれば、イスラエルはより良い未来をみすみす手放すことになる」
訃報が伝わった今週水曜、イスラエル国民は建国の父の最後の一人の死を悼み、ベンジャミン・ネタニヤフ首相が率いる右派政権も、故人の功績を称えて黙とうを捧げ、弔意を示した。ペレスの死は、イスラエルが国際社会で存在感を増す原動力になった楽観的で理屈ぬきの夢が終わった象徴として受け止められた。