「金」じゃなくてもOK? 変わる中国のスポーツ観
Nolwenn Le Gouic-Icon Sport/GETTY IMAGES
<金メダル至上主義にとうとう終止符が打たれた!? 自信を付けた中国がリオで見せた大きな「進化」>(銅メダルだった競泳選手の傅は、その親しみやすい人柄が人気になった)
リオデジャネイロ五輪は魅力的な出来事でいっぱいだった。
シリア出身で、密航船難破の危機に直面しながらヨーロッパへ渡り、五輪史上初の難民選手団の一員として出場した競泳選手ユスラ・マルディニ。陸上女子5000メートル予選で一緒に転倒した相手と助け合ってゴールし、栄誉ある「ピエール・ド・クーベルタン」メダルを手にしたニュージーランドのニッキ・ハンブリン――。
中国選手も飛び込み競技をはじめ、重量挙げや陸上、卓球などで大活躍した。だが中国にとって今大会での真の達成は、オリンピックに対する姿勢そのものが進化したことだ。
「スポーツ愛国主義に突き動かされていた中国に変化が見え始めた」。韓国紙・中央日報はリオ五輪開催期間中の記事でそう指摘している。「この16年間で初めて大会初日の金メダル獲得がなかったものの、(中国国営の)新華社通信は金メダル獲得のニュースより中国選手の冷静な態度に価値があると報じた」
正しい方向への一歩であることは間違いない。とはいえ冷静さを強調するのは、12年のロンドン五輪で重量挙げの呉景彪(ウー・ジンビャオ)選手がさらした「国辱的醜態」を意識したものともいえる。
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4年前、重量挙げ男子56キロ級で銀メダルを手にした呉は「私は母国に値しない人間だ。中国重量挙げ選手団の恥だ」と涙ながらに謝罪し、苦悩に満ちた叫び声を上げた。
金メダルを獲得せよという国内からの大きなプレッシャーを考えれば、呉の態度も理解できる。呉の一件をめぐって、ブルームバーグ・ビューのコラムニスト、アダム・ミンターは中央日報への寄稿で指摘した。中国は、初めて本格参加した夏季五輪である84年のロサンゼルス大会以来、金メダル病に取り付かれている、と。
競泳選手の「生理」発言
ミンターいわく、中国選手が呉のように過剰な反応を見せるのには別の理由もある。すなわち、恐怖のせいだ。ロサンゼルス大会に出場した走り高跳びの花形選手、朱建華(チュー・チエンホア)が金でなく銅メダルを手にした際には、怒った群衆が朱の自宅に投石する事件が起きたという。