住民に催涙弾、敵前逃亡、レイプ傍観──国連の失態相次ぐ南スーダン
母親と4人の子どもは、一命を取り留めた。だが2歳になる末娘まで幸運とはいかなかった。爆弾の金属片が飛んできて、左耳の後ろから額へと貫通した。即死だった。
7月10日の戦闘のさなか、国連キャンプ内の難民たちが恐怖に震えながら目にしたのは、第1PoC内のPKO部隊の隊員たちが、歩哨としての任務を放棄する様子だった。第3PoC内のエチオピア平和維持部隊は、戦闘が終わるまで持ち場に残ったが、基地居住者たちによると、第1PoC内にいた中国とネパールの部隊は、国連基地の主要区域へと撤退したという。「自分たちを守ってくれると信頼していた人々が真っ先に逃げた」と、ある年配の男性は語った。
UNMISSのエリザベス・チェスター報道官は、PKO部隊に対して持ち場を離れるよう命令が下したことはないとしながらも、一部の部隊が集中砲火を受けて「避難した」可能性があると認めた。基地居住者によると、PKO隊員が持ち場を放棄した結果、十字砲火のなかで無防備な状態で残された多数の難民が、国連基地の中核施設に保護を求めたという。そこでは国連職員たちが、はるかに頑丈な建物のなかに避難していた。
有刺鉄線を乗り越えて
女性と子どもたちはパニックになりながらも、有刺鉄線バリアをよじ登って乗り越え、中核施設に辿り着いた(多くの住民が、そのときに負った擦り傷や切り傷を見せてくれた)。第1PoCの居住者によると、バリアのひとつに穴が開いたため、何千人もの人々が何とか中核施設のエリアに入れたという。しかし、そこで彼らを待っていたのは、警棒を振りかざす国連の警官だった。屋内に避難するのを阻止されたと避難民は語る。
「青い制服を着て警棒を持った大柄の男たちに止められた」と、若い女性は言う。「結局、一晩中外で過ごした」
翌11日は基地のまわりでまだ戦闘が続いていたため、避難民は国連基地の中核施設の周りに滞在することを許可された。だが、国連職員が頑丈な壁の向こうに避難する一方で、彼らは屋外で無防備な状態に置かれたままだった。そして、7月12日の朝に銃撃が静まると、第1PoCに戻るように言われた。
避難民がためらうと、国連警察は群衆に向かって催涙ガス弾を撃ち込んだと、目撃者は言う。「1つは私のすぐそばに落ちた」と、高齢の男性は言う。「弾が転がって、煙が出てくるのを見た。たちまち皆が咳込んで、涙を流しはじめた。私も目が3日間痛かった」
赤ん坊が煙のために呼吸困難になり、意識を失ったと言う女性たちもいる。キャンプの医療管理者もスタッフも、その日、催涙ガスを吸い込んだ患者数人の手当てをしたと言う。