リオ五輪でプロポーズが大流行 「ロマンチック」か「女性蔑視」か
シン氏は秦選手がメダル授賞式の後という時を選んだことにも批判的だ。「あんな場所で、プロポーズを拒絶するのはすごく勇気がいる。女性は誰にでも親切に、ノーと言わないようにしつけられてきたので、なおさらだ」。不当だ、つまりは女性蔑視だというわけである。
一方、ガーディアン紙の取材に答えた、チャリティー団体「リレート」のガープリー・シン氏は別の見方をする。「相手をコントロールしようという感じではなかったと思う。普通、男女のカップルでは男性側が女性にプロポーズするものだし、今回の件が男性中心主義だったとは言えない。重要なのは当人同士が納得のいく形だったかどうかだ」。
ソーシャルメディアの普及によって、プライベートな事柄を公にしシェアすることが日常的になった。これが五輪に限らず公開プロポーズの流行の背景にある、と同氏は続ける。
少数意見が大事な理由は
17日午後、筆者がBBCのフェイスブックのページで「中国人選手のプロポーズはロマンチックだったか、あるいは男性側のコントロールを表していたか」という見出しがついた記事のコメントを見てみると、コメント総数は2900個に上っていた。
とても全部は見切れないが、数十のコメントを眺めていると、「ロマンチックだった」という人もいれば、「どちらにも該当する」と言う人もいた。どちらかというと、プロポーズを肯定的にとらえている人が多い印象を持った。
それでも、何人かに一人の割合で「あれほどプレッシャーのかかる場所でやらないほうがよかったのではないか」と言う慎重派もいた。
筆者が見た限りでは「男性中心主義の表れ」として性差別の観点からとらえている人は少なかった。
また、五輪プロポーズラッシュには男性同士、あるいは女性同士のカップルも含まれている現在、性差別という観点のみから公開プロポーズ問題を語ることの意味は、今後、薄まりそうだ。
ただ、たとえ少数意見ではあっても、「女性蔑視に見える」、「男性中心主義の表れだ」、「スポーツの功績を軽んじさせる」、「イエスと言わせるように圧力が働くからフェアではない」という見方を持つ人がいることを知ることは重要だと筆者は思う。
というのも、国内では史上二人目の女性宰相が誕生している英国だが、大企業の経営幹部の中に女性が占める割合は男性に追いついておらず、いわゆる「ガラスの天井」はまだ存在しているからだ。制度上は男女平等であり、日本と比較すれば「女性はこうあるべき(あるいは男性はこうあるべき)」という伝統的考え方が崩れているものの、「見えない・意識しにくい性差別・偏見」は存在する。