沖縄の護国神社(3)
具志堅は「戦没者の慰霊顕彰について」という文章で、自分が終戦直前に拳銃自殺を図って失敗して生きながらえたことに触れ、「常に英霊に対し報恩感謝の念を忘れず余命は広く社会の為に奉仕し度い」と述べ、本土出身の戦没者を合祀したことをこう表現する。
そして郷土出身全戦没英霊を合祀するばかりでなく今次沖縄戦に於いて散華された本土各都道府県出身戦没者六万五千柱を合祀して神職を靖國神社から招聘し英霊を中心とする本土との一体化の実を挙げて英霊も満悦のことと感応するのである。本土復帰の実現も近々に迫りつつあるやに感じ英霊の御加護新たなるを想う。(『歩み』、二一一頁)
また、「戦跡『霊域』の清掃管理について」という文章では、沖縄各地に建立された慰霊塔の清掃管理を、政府の補助を得て沖縄戦没者慰霊奉賛会が請け負っていることについて、「此の戦跡を見てもわかるように英霊を中心とする本土との一体化はすでに実現されていることを強く感ずるものである。」(『歩み』、二一一頁)と同じ言葉遣いで記す。
戦没者の捉え方も興味深い。全国各地から来た将兵が沖縄で戦没したことによって、沖縄と本土との紐帯が強まったと考えているようだ。
沖縄は今次大戦により英霊を通して広く本土各都道府県に紹介され認識を深められた。それは北は北海道から南は鹿児島まで沖縄戦に参加しなかった県はなく戦没者を出さなかった府県もないからである。
今日、各都道府県は慰霊塔を建立しその除幕式、慰霊祭に臨み知事は祭文に或いは挨拶の中に此の塔が沖縄と何々県との間に英霊を通じて親善の懸け橋になることを必ず祈願されているので、日本復帰、日琉一体化は英霊が尊い身命を犠牲にして戦ったその精神に反しないことで英霊も悦んでくれることと信ずるものである。(『歩み』、二一二頁)
この文章は草稿段階のもので、具志堅個人の感慨にすぎない。しかし、スピーチのために用意した草稿らしいということは、聞き手の同意や共感が得られる見込みがあったことを意味するだろう。
「英霊を中心とする本土との一体化」「英霊を通じて親善の懸け橋になる」といった表現が繰り返される。政界・財界・教育界までが大同団結できた原動力は、もちろん第一には慰霊への切実な想いであったろう。復興を担った人々の背景はさまざまで、沖縄戦の遺族もいれば、具志堅や加治順正のように生還した軍人もあり、内地で疎開生活を送ったり外地から引き揚げたりした帰還者もいたが、それぞれに悲しみと疚しさと使命感があった。
さらに加えて、当時の沖縄は占領下にあって日本という「祖国」への強い想いが共通していた。神社の復興は本土復帰や日琉一体といった当時の沖縄の悲願を一足早く実現するかのように思われ、祖国復帰運動の前哨戦としての役割を果たした。正直に言うと、立場を越えて同じ夢を見られた時代が現在からは眩しくも映る。
※第4回:沖縄の護国神社(4)はこちら
[執筆者]
宮武実知子(主婦) Michiko Miyatake
1972年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程(社会学専攻)単位取得退学。日本学術研究会特別研究員(国際日本文化研究センター所属)や非常勤講師などを経て、現在は沖縄県宜野湾市在住。訳書に、ジョージ・L・モッセ『英霊』(柏書房)などがある。現在、新潮社『webでも考える人』で「チャーリーさんのタコスの味―ある沖縄史」を連載中。
『アステイオン84』
特集「帝国の崩壊と呪縛」
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アステイオン編集委員会 編
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