現代の「日本のコンスティテューション」とはなにか~宇野重規×山本一郎対談(2)
かつての政治家にあった「知恵」と「ユーモア」
宇野:自分たちが寄って立つべき思想みたいなものをどう再発見するかというときに、やっぱり江戸時代の遺産って大きいと思うんです。藩校もそれぞれ学風が違う。中国から輸入した思想に対して、京都や大阪のような商人の思想も出てくる。それらを各地域でミックスし直して、地域の課題と向き合ってきたのが日本の良き伝統でした。
戦後もそうで、大平正芳(1910~1980)は香川の貧しい農家の生まれですけど、トマス・アクィナスやイギリスの社会主義、農業社会主義などを通じて、地域コミュニティを考えた。それに対して、同じ首相でも、吉田茂(1878~1967)は全くの都会っ子。こういうのが凝縮しているのが、日本政治の面白さだったと思うんですよね。
山本:昔の日本政治を見てみると、保守を自認している人たちには一つの知恵があったと思います。例えば自民党の人達は、野党だった社会党の人達との対話を非常に重視して、国会対策を通じて合意形成をしていくのが非常にうまかった時期がありましたね。
そこで出てきたものが結果的に良かったのかどうかは別として、あれは古き良き日本の政治の伝統だという人達もいます。今、それが失われて、自民党と民進党との対立だけの構造はどうなんだと思います。お互いに対する敬意が乏しいようにどうしても見えてしまうんですよね。
宇野:『保守主義とは何か』の中でも触れたことですが、政治の場には本来ユーモアが必要です。議会で乱闘してもいいんですよ。でも、「自分達がやっていること、おかしいよね」と心のどこかで笑うことができる感覚。自分のことを含めて笑い飛ばすことができて、決して現実は変わらないんだけど、みんなの気持ちが少し軽くなる雰囲気づくり。そういう、ほっこりするぐらいのユーモアが、日本の保守政治にもあったと思うんですよね。今の日本には、人を下げたり、引きずり下ろすような笑いが多いんですけど...。
山本:私はそういう笑いも大好きですけどね(笑)。
宇野:昔の自民党と社会党って、ケンカを派手にやりながら、裏では調整もして。一歩間違えれば談合かもしれませんが、良く言えば、一つ上からの視点があったように思います。最近の政治家たちからは、そういうユーモアの感覚がなくなった気がします。
山本:今、みんな必死なんですよね。
宇野:でも、歴代の自民党の指導者って、大体、社会党の指導者たちとも個人的には繋がっていたわけです。だから自社さ連立政権なんかも出来たわけで。主張は違うけど、どこかユーモアで繋がろうみたいな感じがあったはずです。
山本:55年体制では高度成長して「みんな豊かになっていくぞ」という夢があったかもしれないですが、政治の風土に意外と遊びがあって。その中で「ここはお前にくれてやるから、ここは吊るしにさせてくれよ」みたいな話が出来る間柄が、そこかしこにあったと思うんです。それが今の自民党と民進党との間にあるかと言えば、ほぼない。
宇野:党内ですら、そういう議論が出来ていませんね。それどころか、党内でいかに足をひっぱるか、まさに日本社会の縮図になってしまっているんですよね。これは、バーク的な政党ではありません。
それから、人を育てていく文化がないとダメですよ。今回の参院選では今井絵理子さんが出てきました。今井さんが本当に沖縄のことを勉強して、持論が出てきて大成すれば、それはそれで良いと思うんですよ。だけど今は、「沖縄のことを知らないのか?」と批判するか、ただの「元アイドル」としてしか持ち上げない。
山本:結果、テレビでワンフレーズ・ポリティクスを叫んだ人達が票を集めるという状態になってしまいました。もしかすると、日本ではずっとご都合主義が蔓延って、政治哲学や政治思想をきちんと培って来なかったからなんじゃないかと、今になってようやく気づき出したわけですね。
今回、東京都知事選に立候補している増田寛也さんや小池百合子さんの思想ってなんだ?と分析しようとしても、恐らくは何の思想も無いのだろうなと。無いとなると、どのように社会を前進させるのかが、全く見えないんです。現実と理想の狭間をうまく埋めるためのものが何もないとなると、政策での優先順位も決められなくなってしまいます。
民進党も党全体としてはリベラルを標榜してはいるんですけど、中には右派の議員さんもいらっしゃるわけです。その中から、ちゃんとした保守主義思想を持っている人が1人でも出てきたら、ガラッと変わるんじゃないかなって思ったりもします。
リベラルなんだけど、ちゃんと保守についての理解もあって、オルタナティブの中心になれる理論家が出てくれば、いままでとは全然違う政党政治が出てくるんじゃないかなっていう期待感もあるんです。
宇野:バークも、割と早い時期に政権側を経験するんですよね。その経験があるので、野党になっても「この国をどうやって維持していくか」という発想ができたし、現政権に対してもオルタナティブを示すことができたんだと思います。そう考えると、政権交代にも意味があると思います。
「日本のコンスティテューション」とは何なのか議論すべき
宇野:海外に目を向けると、今、アメリカではトランプが出てきていますが、アメリカの保守主義に健全な点があるとすれば、政府に頼らないで、荒野の中、一人で生きてきたと。そして、その時に心の支えとなった神やキリストを大切にするということ。どれだけ頑迷であるにせよ、一つの哲学ですよね。
イギリスの場合も、今度のBREXITをバカバカしいと思う反面、やっぱり「ヨーロッパだけど、ヨーロッパじゃない」という独特のアイデンティティを維持したいという、イギリス人の生活感覚がああいうことを起こしたように思います。
ただ、だからといって単に内向きになってはいけない。今、世界中が内向きになっていますよね。イギリスやアメリカと一緒になって、どんどん内向きになって沈んでいってしまったら、もうアウトですよね。
社会保障の問題でも、アメリカやヨーロッパでは「全ての人に」というより、「やっぱり自分達の仲間に」だよねという議論が出てきています。「移民や難民のようなストレンジャー、全ての人を救ってあげよう」という発想と、「歴史や共同体を一緒に作ってきた仲間をまず大切にしよう」という発想のぶつかり合い。今後、日本でもそのせめぎ合いが起きてくるはずです。
山本:日本にも、昔は謙譲の美徳と言うか、自分たちの分をわきまえるというのが、みなさんの中にしっかりとあって。お年寄りは長生きしてすいませんみたいなところがありました(笑)。そういう、お互い様の部分でうまく支えあって、地域社会を作っていたのが、急速に無くなっていったなと。
宇野:「情けは人の為ならず」というのは良いフィロソフィーだと思うけれど、そのまま言っても若い人たちはあまり感心しないんですよね。でも、そういうものを日本の思想的伝統にしたいですね。
山本:やはり、ある意味での「教養」が必要だと思います。たとえば思想家たちが、なぜそういう主張をしなければならなかったのか、バックグラウンドを理解するためにも世界史を学んで...と、知識は連鎖していくものだと思いますが、それが分断されてしまっています。
例えば日本国憲法の対比としてブリティッシュ・コンスティテューションはどうなの、アメリカ合衆国憲法の理念はどうなの、とか全て連環しているはずなのに、「押し付け憲法だ」とか(笑)、そこだけで議論していたらダメなんじゃないかと思います。
宇野:英語の「コンスティテューション」って「憲法」のことだけど、ニュアンスとしてはもうちょっと広い意味があって、国の仕組みとか、国の形を指す言葉です。日本の国の形があって、日本国憲法はその一部に過ぎないのであって、もっと広い意味で、日本が大切にしている価値とか、ルールをも考えなければいけない。
山本:伊藤博文や北一輝が、ナショナル・アイデンティティというべきものを作ろうとして途中までいくんですが、うまくいきませんでした。日本人なりの国家観を作っていく過程で断絶があって。
宇野:戦後はひたすら、そういうことには触れないようにしてきましたね。でも本当は、右・左問わず、「日本のコンスティテューション」とは何なのかを、正面から議論するべきです。