いとうせいこう、ハイチの産科救急センターで集中治療室の回診に同行する(9)
CRUOの集中治療室。奥は緊急医療を受ける乳児たち(今回もスマホ撮影)
<「国境なき医師団」の取材で、ハイチを訪れることになった いとうせいこう さん。取材を始めると、そこがいかに修羅場かということ、そして、医療は医療スタッフのみならず、様々なスタッフによって成り立っていることを知る。そして、産科救急センターを取材する>
これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く」
前回の記事:「いとうせいこう、ハイチの産科救急センターで小さな命と対面する」
『母親たちの村』
俺たちは同じ日の午前中、CRUO(産科救急センター)の本館とは別の大きなテント病棟のような場所にも寄った。窓のない長四角のテント内にはベッドが幾つも並べられており、紙飾りなどが下げられたその薄暗がりに、ハイチ女性たちが腰かけたり寝たりしていた。
『母親たちの村』と呼ばれているエリアだった。案内のロドニー病院長が満面の笑みで入り口から「ボンジュール」と声を掛けると、女性たちもまた元気よく「ボンジュール」と挨拶を返す。実に打ち解けたムードがそこには漂っていた。
出産後、新生児がまだ退院できる状況にない母親が、そこで共同生活をしていた。だから『母親たちの村』なのだった。
あとで午後にもう一度そこに寄ってみた時には、たくさんいたママたちが出かけていて、残った五人ほどが臨床心理士らしき女性のアドバイスのもとでクレヨンを使って絵を描いているのを見た。危険な状態にある新生児をただ黙って何日も待っていなければならない母親に、アクティビティを提供して心の支えを作っているのだ。色を塗るのに熱心な母親もいれば、絵というもの自体描くのが初めてらしき母親もいて、恥ずかしがったりしていた。
コレラに罹った母親を隔離するテントも別区域にあるというので、強い日差しの中を歩いていった。途中、外来患者たちが日陰の木椅子に座っている場所があって、病院長に向かって率先して「ボンジュール」と言った。ニュアンスでは「こんちわー」というカジュアルな感じに聞こえた。
椅子には空きがなく、患者はびっしりいた。たいていは女性で小さな子供を抱いている。奥の診療室にも入ってみたが、狭い室内には診療中の母子と待っている母子の二組がいた。待っているお母さんに軽く挨拶すると、にっこりと笑顔になって小声で「こんちわー」と言ってくれた。
敷地内を歩いて移動して、濃い灰色のテントにたどり着いた。コレラ病棟だから、以前と同じく入り口で靴の底を消毒した。簡易ベッドが土の上に並んでいたが、寝ている者はたった一人だった。体の大きな女性で熟睡していた。
二日前に出産があったのだそうだった。子供はあの集中治療室にいたのかもしれなかった。テントの天井に下げられた扇風機が規則的な音を立てて回っていた。しばらく俺たちは無言で立っていた。誰にとっても安息の短い時間であるように感じられた。
やがてあらわれた男性助産士ベンジャマン・ドシーから俺は、妊婦がコレラに罹患している場合の医療はきわめて高く専門化されてるという話を聞いた。しかも、妊婦から赤ん坊をとり出す時に細心の注意を払うのみならず、彼女らが住んでいた家も消毒してから帰すのだということだった。
ダーン先生の回診
そろそろダーン先生の回診が始まるそうだった。俺は是非ともそれが見たかった。
俺たちは産科救急センターの敷地をぐるりと回り込んで、集中治療室の方へ行った。その途中で、屋根の下に男も女もぎっしり集まっているのを見た。お見舞いの人のためのエリアだそうで、市外から来た人が二、三日宿泊することもあるそうだった。壁はなく柱が何本か立っていて、床はおそらくタイル貼りだった。
声の調子も高く、そこで貼り紙を使って何か力強く語りかけている女性がいた。性暴力被害者専門クリニックから現地看護士が来て、被害の実情やクリニックの存在を説明しているのだそうだった。やるべきことはメンバー各自に幾らでもあるのだ、と思った。
十一時半、再び専用の上着をはおり、手をよく洗ってマスクをした俺たちの前に、あのダーンがあらわれた。緑色で半袖の看護服、首には聴診器を掛けており、二人の現地医師と一人の女性看護士を連れて、入り口手前左にある保育器からダーン先生は様子を見始めた。
現地医師たちは細かく記録を採ったカルテを広げ、ダーン先生にその子供の状態を報告する。紘子さんと谷口さんの同時通訳によるとこうだ。
「28週、過呼吸症候群。880グラムで生まれ、昨日入院しました。低血糖で安定しません。1000グラム以下なので人工呼吸補助器を使うのは無理です」
冷静沈着で穏やかなダーン先生は聞きながら何度もうなずき、弱々しく寝ている乳児のお腹を数本の指で軽く押したりした。そしてカルテと子供を集中して見比べ、治療方針を発表する。
「はやめに母乳に切り替えて胃腸を強くしよう」
そして、次の保育器へと移る。