モハメド・アリの葬儀に出る大物イスラム政治指導者とは
アリは亡くなる数年前まで、人道的理念への情熱を持ち続けた。ワシントン・ポスト紙の記者ジェイソン・レザイアンがイラン当局に身柄を拘束された際は、釈放を求めるために2015年3月に同国を訪問。今年初めに釈放されたレザイアンは6月4日にCNNにこう語っている。アリのイラン訪問の後、「看守たちの扱いがよくなった。私の容疑を懐疑視するようになったのだと思う。待遇が改善されるとともに、勇気をもらった」
1964年、アリはイスラム教に改宗し、出生時の名前であるカシアス・クレイ・ジュニアを捨てた。
そして当時物議をかもしていたアフリカ系アメリカ人のイスラム運動組織「ネーション・オブ・イスラム(NOI)」に加わり、NOIの代表者で公民権運動の指導者でもあったマルコムXと親交を持った。しかしアリは10年ほどすると、イスラム教主流のスンニ派を支持するようになり、NOIとのつながりを絶っている。
さらに2005年ごろになると、アリはイスラム教の分派であるスーフィズムに救いを求めるようになった。スーフィズムは、内面的な解釈を重視する神秘的な宗派だ。
マルコムXは日記のなかで、1964年にエジプトとサウジアラビアを5週間にわたって視察した際、現地の人々に何度もモハメド・アリと間違えられた、と記している。
「イスラム世界」はアリを心から愛しており、「子供でさえ彼のことを知っている」とマルコムは書いている。