欧州ホームグロウンテロの背景(2) 現代イスラム政治研究者ジル・ケペルに聞く
こうして実現した典型的なテロが、二〇一五年一月七日に起きたパリの風刺週刊紙『シャルリー・エブド』編集部襲撃事件だった。その容疑者たちの軌跡を追って見ると、テロリストとしての彼らの今日性が浮かび上がってくる。
『シャルリー・エブド』は、毒を含んだユーモアとどぎつい皮肉で知られ、ごく一部の熱烈な支持を集めると同時に多くの顰蹙も買ってきたメディアである。表現の自由の絶対性を掲げ、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画をたびたび掲載したことで、過激派から脅迫を受けていた。その編集部をサイード・クアシとシェリフ・クアシの兄弟が襲撃し、風刺画家や記者、関係者ら十一人を殺害した。兄弟と呼応したアメディ・クリバリが二日後、パリのユダヤ人スーパー「イペール・カシェール」で四人を殺害して立てこもり、これと前後して警察官二人も犠牲になった。三容疑者はいずれも、治安当局との銃撃戦の末に射殺された。
クアシ兄弟はパリの極貧移民家庭に生まれたアルジェリア系フランス人で、両親を失ってフランス中部トレニャックの孤児院に預けられた。子どもの頃は宗教にほとんど関心を抱かず、兄は料理人を、弟はサッカー選手を目指す元気な少年だったという。しかし、原理主義に近い親戚に感化され、出入りするようになったモスクで過激派組織「イラクのアル・カーイダ」の関係者と知り合い、次第にテロのネットワークに近づいた。弟は特に、収監先の刑務所内で出会ったフランスのアル・カーイダ組織の中心人物ジャメル・ベガルから大きな影響を受けたといわれる。
クリバリはマリ系フランス人で、強盗や車上狙いを重ねて刑務所に頻繁に出入りする犯罪常習者だった。やはり刑務所内でジャメル・ベガルと出会ったのをきっかけに、過激派の活動に踏み込んだ。
兄弟のうちの一人がイエメンを短期間訪れてアル・カーイダ系組織と接触した程度で、三人はいずれも、系統だった軍事訓練を受けていないようだ。テロ計画の大部分は自力で進めたと考えられる。武器も、犯罪組織のルートを使って自前で調達した。いわば、ボランティアの活動家としてテロを実行したのである。
テロの手法も、銃で撃つという極めて単純な行為に終始している。アル・カーイダが展開した戦場仕込みの大活劇に比べ、手間の面でも費用の面でも桁違いに規模が小さい。生産ラインを備えた大規模工場をアル・カーイダとすれば、第三世代の組織は手づくり工房になぞらえることができるだろう。
※第3回:欧州ホームグロウンテロの背景(3)
※第1回:欧州ホームグロウンテロの背景(1)
*本稿は二〇一五年一〇月二〇日に朝日新聞に掲載されたインタビューを元に大幅に加筆している。
[インタビュイー]
ジル・ケペル Gilles Kepel
1955年生まれ。パリ政治学院卒業。フランスの政治学者、専門はイスラム・アラブ世界。1994~96年米コロンビア大学などで客員教授。パリ政治学院教授としてイスラム・アラブ世界研究を率いる。著書に『イスラムの郊外――フランスにおける一宗教の誕生』(1987年)、『ジハード』(2000年)、『中東戦記――ポスト9.11時代への政治的ガイド』(2002年)、『テロと殉教』(2008年)など多数。
[執筆者]
国末憲人(朝日新聞論説委員) Norito Kunisue
1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局員、パリ支局長、GLOBE副編集長を経て論説委員(国際社説担当)、青山学院大学仏文科非常勤講師。著書に『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)など。
『アステイオン84』
特集「帝国の崩壊と呪縛」
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CCCメディアハウス