『海よりもまだ深く』是枝裕和監督に聞く
――良多の父親は亡くなっているが、物語の中では大きな存在感がある。是枝さん自身にとって、今はいないが大きな存在という人はいるか。
ずっと支えてくれていた、エンジンフィルムという会社の会長だった安田(匡裕)さんが09年に亡くなられた。65歳だったかな。製作資金を出してくれていたし、精神的にも父親代わりだったその人が亡くなって、「自分が大人にならないと。もうスネをかじれない」と、すごく切実に感じた。その人にわがままを言っていれば何とかなるというような、どこか甘えているところがあったから。
そういうことがないと大人にならないんだね。でもいまだに企画を考えながら、「安田さんなら何て言うかな」「『やめとけ』って言うかな」って思ったりする。
――大人になるというのは具体的にはどんなこと? お金の面まで考えて製作するといったことか。
お金の面まで考えて製作していたのはずっとそうなんだけど(笑)。自分が子供として誰かにぶら下がるのではなく、僕の下を考えるようになったかな。誰かを育てようということではないし、「後進のため」と言うのも格好良すぎるんだけど......。自分が鎖の1つとなって、誰かにつないでもらったものを、誰かとつないでいく。
――『海よりもまだ深く』はカンヌ国際映画祭(5月11日開幕)の「ある視点部門」に出品されている。「僕はカンヌにあまり愛されていない」と以前にインタビューで話していたが、そろそろ愛されていると思い始めた?
いや。
――まだ思わない?
カンヌに行っても宣伝キャンペーンでイギリスやフランスなどを回っても、ヨーロッパのお客さんが待ってくれている、愛してもらえているという実感は覚えるようになった。映画祭に関しては、僕はベネチア国際映画祭が出発点だから(*)。こういう言い方は嫌いだけど、ベネチアが「発見した」アジアの監督なんです。発見という言葉にある種、差別的な匂いがあるのですが、いまだにヨーロッパとアジアはそういう関係にある。
ベネチアが発見した作家は、カンヌにとってはたぶんお客さん。カンヌが発見して、カンヌでカメラドールを取ってというのとはちょっと違う。ただカンヌで継続してワールドプレミアを行わせてもらっているし、ここ数作で「ようやく仲間に入れてもらえたかな」という感じはする。
*95年に長編第一作の『幻の光』が金のオゼッラ賞を受賞。