【写真特集】震災と「核」をダゲレオタイプで撮り続けて
震災後、新井は福島の飯舘村や南相馬市、川内村などに入り、時には非常サイレンや線量計のアラームに恐怖しながら、撮影していく。
【参考記事】<震災から5年・被災者は今(2)> 原発作業で浴びた放射線への不安
それだけでなく、長崎や広島、さらには人類が史上初めて核実験を成功させた地、米ニューメキシコ州の「トリニティ・サイト」へと足を運ぶのだ。その理由として新井は、「現在の福島の状況がなぜもたらされたのか、そもそも日本に54基もの原発があったのはなぜなのかを知りたかったから」と話す。
遡ること2008年か2009年に、新井は旅したサンフランシスコで『100 SUNS』という写真集を購入している。マイケル・ライトという従軍写真家の手による、アメリカの核実験のキノコ雲だけを集めた写真集だった。「その写真を見て、あまりにも圧倒的な規模、そして時には『美しい』とすら思える『造形』と、それがもたらす災厄との筆舌に尽くしがたいギャップに深い衝撃を受けた」と、新井は言う。
それが核に関心を持つ最初のきっかけだった。震災後、福島を訪れ、強烈な憤りを覚えた新井は、モニュメントという概念について考え始め、ダゲレオタイプによる撮影を続けていったのだ。
さて、震災前に〈死の灰〉のサンプルを借りていた第五福竜丸展示館である。新井は2013年の夏に展示館に通い詰め、展示されている船体を300枚もの銀板写真で分割撮影し、ひとつの大型作品をつくるというプロジェクトに取り組んだ(記事冒頭の写真は、300枚の銀板写真による作品の前に制作した習作)。
複製不可能な銀板写真に第五福竜丸の表面を写し取って、新しいモニュメントをつくる試みである。忘却を押しとどめるために――。
こうして、いわば「核のモニュメントを巡る旅」を続けてきた新井は、初の単著写真集『MONUMENTS』(フォト・ギャラリー・インターナショナル)を完成させた。どんな思いで写真集をつくったか尋ねると、彼はこう答えた。
「(原爆ドームのような)圧倒的な出来事から生まれたモニュメントを、大きな文脈ではなく、あくまでひとりひとりの個別的体験として分解していくこと。その結果初めて、手に負えないような巨大な出来事を自分のリアルな体験や感情を通して考えたり、それに対して行動を起こしたりできるようになる」
*新井卓さんはこの写真集で第41回木村伊兵衛写真賞を受賞されました。
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
Photographs from "MONUMENTS" by Takashi Arai