<震災から5年・被災者は今(2)> 原発作業で浴びた放射線への不安
事故直後に原発作業に従事した作業員は当時の放射線が健康に及ぼす影響を考えずにはいられない
消せない記憶 事故からちょうど1カ月後に福島第一原発の入り口前で警備にあたる従業員(2011年4月11日、撮影:郡山総一郎)
3.11の東日本大震災とその後に発生した福島第一原子力発電所の事故から2016年で5年になる。震災5年を迎えた被災者の現状をリポートするシリーズ、2回目の今回取り上げるのは、福島第一原発で事故直後に長時間作業に従事した男性エンジニア、中川浩一(44、仮名)にとっての「震災から5年」だ。避難解除準備区域にあった自宅から避難していたこの男性は最近、中通り(福島県中部)に家を新築したばかりだ。
中川は原発事故以降、毎年欠かさず健康診断を受けている。そして体に異変が見つかっている。それが原発事故にどう関係しているのかは、本人も、診断する医師ですら分からない。だが中川が震災発生当時、原発で直面した状況は、現在の体の異変に放射線の影響があるのではないかと疑わざるを得ないものだった。
2011年3月11日午後2時46分、東京電力関連の企業に勤めていた中川は、福島第一原発での仕事を終え、敷地内にある免震重要棟の間にある駐車場にいた。その時に激しい揺れを感じた。「建物の窓があちこちで割れ落ちた。あまりの揺れに私自身も身動きが取れず、何も考えられなかった」と、中川は振り返る。
中川は原発内の電気システムをメンテナンスするチームのリーダーとして働いていた。大きな揺れが静まると、彼はチームのメンバーに建物内へ入り待機するよう指示した。すぐに原発は津波に襲われ、電源を喪失し、全域が停電に陥った。
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すると免震棟で中川は東電社員から声を掛けられた。敷地外での作業が必要になるから、「やってくれないか」と仕事を頼まれたのだ。地震と津波という緊急事態に、東電から仕事を請け負ってきた企業の人間として、今後の仕事を考えても東電社員の要求を断ることはできなかったという。午後5時前には、電力の復旧作業を行うために免震棟を出た。
原子炉建屋のそばで、地震で出た瓦礫や電源用のケーブルなどを修復し、その作業は午前3時ごろまで続いた。
作業を終えて免震棟に戻ると、雰囲気が一変していた。緊張感が漂い、「原子炉の熱が急上昇している」「放射線量がどんどん上がっている」という話があちこちから聞こえ始めていた。中川も免震棟内にいればとにかく放射線は防げると考えており、そこにとどまっていようと考えた。