最新記事

BOOKS

脱北少女は中国で「奴隷」となり、やがて韓国で「人権問題の顔」となった

2016年3月3日(木)16時12分
印南敦史(書評家、ライター)

 著者もまた複数のブローカーに管理され、しかし13歳だということからギリギリのところで危機を逃れる(ある時期までは)。ちなみに印象的なのは、ホンウェイというブローカーだ。他の男たちと同じく、ときには暴力的なふるまいをするのだが、著者に人身売買の商売を手伝わせたり、ばらばらになった家族を見つけて保護するなど、悪人になりきれないブレを見せるのである。


 私はまだホンウェイを憎んでいたが、それでも一緒に暮らすことには慣れた。彼は最初のうちはきつい態度だったが、時間がたつごとにやさしくなり、しだいに私を尊重し、信頼し、彼なりに私を愛するようになっていった。(183ページより)

 著者の人間性がなにかを感じさせたのかもしれない。とはいえハッピーエンドが訪れるはずもなく、ホンウェイの仕事を手伝う過程で再会した父親を癌で亡くし、ホンウェイもギャンブルで身を滅ぼすことになる。著者と母親が死を覚悟してモンゴルに逃げたのは、そうした状況から逃れ、韓国にたどり着きたいという理由があったからだ。

 ここから先の展開は、ジェットコースターのように爽快だ。いくつかの障害こそあったものの、それを乗り越えた著者はスポンジのような吸収力で多くを学び、2012年にはソウルの東国大学への進学まで実現させてしまうのである。それまで表に出しようがなかった可能性が、一気に開花したのだ。

 そしてさらに大きな契機となったのは、テレビ番組で脱北体験を語ったことがきっかけとなり、ソウルのインターナショナル・スクールでスピーチを行なったこと。その後にインタビューや講演の依頼が増え、「北朝鮮の人権問題の顔」と呼ばれるようになるのである。


 韓国警察の担当刑事から電話がかかってきたのはそのころだった。(中略)刑事は私の安否をたしかめるよう指示されたという。私が北朝鮮政府に監視されているという情報が入ったからだ。刑事はその情報をどうやって手に入れたかは教えてくれず、ただ発言には気をつけろと言った。危険だからと。(308ページより)

 北朝鮮政府が著者を脅威とみなし、脅そうとしたことは驚きである一方、充分に予想できたことでもある。いずれにしても、そんなことで怯むことなく、著者はいまも世界を飛びまわり活躍しているという。今年で23歳になる女の子の半生としてはあまりに濃密だが、ここまで読み進めてようやく、読者の眼前にも光が差し込むことになるわけである。

 私たちの多くは、北朝鮮についてそれ相応のことは知っているつもりになっているだろう。しかし、現実は想像をはるかに超えているということを本書は教えてくれる。でも、それ以上に私たちがここから受け止めるべきは、どんな苦境をもはねのける、人間本来の力だ。

<*下の画像をクリックするとAmazonのサイトに繋がります>


『生きるための選択――
 少女は13歳のとき、脱北することを決意して川を渡った』
 パク・ヨンミ 著
 満園真木 訳
 辰巳出版

[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 7
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 8
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 9
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 10
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中