【再録】1975年、たった一度の昭和天皇単独インタビュー
異例中の異例、天皇の訪米直前に皇居で行われ、英語版ニューズウィークに載った計32分間の貴重な記録を再現
異例の握手も実現 2006年2月1日号の「インタビューズ!」特集で、1989年1月15日号に掲載された昭和天皇の単独インタビューを再録(上の見開きページは2006年2月1日号より)。その際、89年当時は誌面に載らなかった一部のやりとりを掘り起こし、計32分間のインタビューのいわば「完全版」を掲載した。上の右ページ写真で、左が昭和天皇、右がニューズウィーク東京支局長のクリッシャー(75年9月撮影)
ニューズウィーク日本版 創刊30周年 ウェブ特別企画
1986年に創刊した「ニューズウィーク日本版」はこれまで、政治、経済から映画、アート、スポーツまで、さまざまな人物に話を聞いてきました。このたび創刊30周年の特別企画として、過去に掲載したインタビュー記事の中から厳選した8本を再録します(貴重な取材を勝ち取った記者の回顧録もいくつか掲載)。 ※記事中の肩書はすべて当時のもの。
※このインタビューを行った記者の回顧録はこちら:【再録】昭和天皇インタビューを私はいかにして実現したか
[インタビューの初出:1989年1月15日号]
右の写真(上の雑誌見開きの右ページ)でアメリカ人記者と握手しているのは、紛れもない昭和天皇その人である。生物学者でもあった天皇裕仁がこの世を去ってから、もう18年になる。
89年1月に裕仁が亡くなると、本誌は天皇崩御を伝える臨時増刊号を発行。その中で、1975年9月29日号の英語版ニューズウィークに掲載された天皇裕仁の単独インタビューを転載した(日本語で出版されたのは初めてだった)。
異例中の異例ともいえる、たった一度の単独インタビューは、75年の天皇の訪米直前に本誌東京支局長バーナード・クリッシャーが勝ち取ったものだ(記者の回顧録はこちら)。
今回、これまでは誌面に載らなかったやりとりも含め、計32分間の貴重な記録をここに再現する。
――陛下はなぜ、アメリカ訪問を希望されるのか。アメリカやアメリカ人に対して、何か特別な感情をもっておられるのか。
私は(ジェラルド・フォード)大統領閣下の温かいご招待によりアメリカを訪問することになりました。大統領閣下と再び会えるのを楽しみにしていますし、私の訪問で、両国の友好関係が深まるよう希望します。
アメリカ人は、はっきりした主張をしますが、常に具体的にものを考えていてさっぱりした人たちのように思います。非常に親しみやすい国民だと考えています。
――皇室の伝統が2000年にわたって存続したのは、とくに何が要因だと感じられるか。
日本の歴史を通じて、皇室が常に国民の安寧を第一に考えてきたからです。
――現代の日本に天皇制は不必要だと考える国民について、どのようにお考えか。
この国にはさまざまな人がいます。しかし一般的に言えば、国民は皇室に敬意をいだいていると思います。
――陛下の戦前と戦後の役割を比べていただきたい。
基本的には、戦前も戦後も役割は変わっていないように思います。私は常に憲法にのっとって行動してきただけだと思います。
――戦前、戦中を通じて、陛下は日本の政治指導者と頻繁に会い、当時はかなりの影響力をもっていたといわれる。今も閣僚や政府高官にしばしば会っているが、彼らに対してある程度の影響力をもっているとお考えか。
戦前も戦後も同じなのですが、私はそういった人たちに会って日本の事情を知ることに努めただけです。影響力があったのか、なかったのかは、第三者の判断にゆだねなければなりません。
――戦争終結にあたって、陛下が重要な役割を果たされたことは広く知られている。日本を戦争に突入させるきっかけとなった政策決定に陛下が関与していたとする意見には、どう答えられるか。
戦争終結は、私自身が決断しました。首相が閣内の合意を取りつけられず、私の意見を求めたからです。そこで私は、自分の意見を述べただけです。
開戦のとき、そしてそれ以前も、さまざまな決定は閣議でなされており、私にはその決定を覆すことはできませんでした。これは日本の憲法の規定にのっとったことであると思います。
――人生において、誰から大きな影響を受けられたか。
いうまでもなく、私は多くの人々に会い、そうした人々から影響を受けてきました。しかし、誰から最も影響を受けたかを指摘するのはとてもむずかしい。歴史上の人物から選べといわれても、その人の子孫に影響があるかもしれませんから、ためらいます。
しかし、皇族のなかから選ぶとすれば、祖父である明治天皇をあげます。私は祖父の行動を常に心にとめてきました。