中国は北朝鮮をめぐり、どう動くのか?
中韓蜜月は、夢のごとく消え去っていったのである。
中国は今後どうするのか?
では中国は「日米韓」というブロックおよび北朝鮮と、どのような距離を取っていくのだろうか?
まず確実に言えるのは、国連安保理などで北朝鮮制裁を決議するときには、拒否権を行使しないだろうということだ。
国連安保理で最も大きな力を持っているのはアメリカで、安保理常任理事国間で決議するときも、最も大きな存在感を持っているのはアメリカである。
となると、中国は韓国と距離を置き、日本とも自ら関係改善に動こうとはしない状態で国連において協力的であろうとすれば、アメリカと接近するしかない。
その意味で、1月7日付の本コラム「北朝鮮核実験と中国のジレンマ――中国は事前に予感していた」に書いたように、北朝鮮の「水爆実験」(と北朝鮮が主張する核実験)によって、米中間の距離が縮まるだろうことが考えられる。
それが軍事的協力にまで行くか否かは大きな分岐点となるが、米中の接近は北朝鮮にとっては一番大きな「屈辱」であり、脅威となることを、中国は計算している。
中朝関係は50年代からギクシャクしている
中朝関係は1950年6月に起きた朝鮮戦争時代から、本当はギクシャクしている。朝鮮戦争は北朝鮮の最高指導者・金日成(キム・イルソン)が旧ソ連のスターリンと示し合わせて発動したものである。建国の父・毛沢東は金日成とスターリンの策略に嵌(は)められ、やむなく参戦した。1949年10月に建国したばかりの中国は、体力を消耗しているのに中国人民志願軍を編成して北朝鮮を応援した。毛沢東は自分の息子である毛岸英を北朝鮮の戦場で戦死により失っている。にもかかわらず、朝鮮戦争が1953年7月に休戦すると、金日成は自分の権威を高めるために、まるで「朝鮮戦争を休戦に持っていき、敗戦しなかったのは自分の手柄だ」とばかりに中国人民志願軍の死の貢献を高くは評価しなかった。自分の息子を北朝鮮のために失った毛沢東としては、「耐え難い」思いをしたにちがいない。
そればかりか、60年代から中ソ対立が始まると、北朝鮮はソ連と中国の両方に等距離関係を保ち、漁夫の利を得ようとしていた。旧ソ連から豊かな原油をもらい潤った北朝鮮は、64年に核実験に成功した中国に核実験のノウハウを求めた。
しかし、あの戦略家の毛沢東が北朝鮮を警戒しないはずがない。核の技術は伝授しなかったが、経済支援と軍事同盟を約束している。