トルコ攻撃に見え隠れするロシアの「自分探し」症候群
「出自」は草原の遊牧民
こうしたユーラシア主義的な思想と政治運動は1922年のソ連成立後に消えていった。亡命知識人たちがソ連との妥協を余儀なくされたからだけでない。共産主義が掲げる「世界革命」によって民族の垣根を越えて、抑圧と搾取のない真の平等社会をつくることができるだろうと、知識人が理解したからだ。「諸民族の平等と自決」をうたうソ連はユーラシア主義の理想を部分的に実現したとさえみられるようになった。
約70年後にソ連が崩壊しトルコ系諸民族の国々が独立すると、ロシア・ナショナリズムが醸成された。ソ連時代に中央アジアに移住していたロシア人は、カザフスタンやトルクメニスタンなど5カ国が独立すると祖国に帰還。自らをヨーロッパの一員と位置付けようとし、逆に欧米はソ連消滅後の寂しいロシア人ナショナリストを利用した。主要国サミットの椅子を1つ増やして手なずける一方、NATOの東方拡大を止めようとはしなかった。
プーチンも大国の指導者としてG8に参加したものの、まるで19世紀にパリやロンドンのホールで踊ったロシアの貴族のような居心地だったことだろう。「貴殿のスカートの下には毛皮のコートが見え隠れしている」と揶揄され、「ヨーロッパの貴族のように振る舞っても、出自は草原の遊牧民」との嫌みを言われ続けたような気分だったに違いない。
そうした欧米の傲慢さが結果としてプーチンをいら立たせ、クリミア併合とウクライナ東部への介入をもたらした。何しろロシアにはナポレオンやヒトラーに勝利したという歴史的な自負がある。ヨーロッパに対する勝算も十分だ。
問題は攻撃の矛先をトルコにまで向けたことだ。自他共に認めるトルコ系諸民族の盟主を執拗に敵視するならば、自らの首を絞めかねない。既にユーラシアにおいて、トルコ系諸民族のほうがロシア人を人口で凌駕しているし、何よりも草原の住民も歴史的に「ロシアの一員」だったのだから。
[2016年1月12日号掲載]