それでも中国はノーベル賞受賞を喜ばない
厳しい自己への戒めを含んだ文学者の言葉だが、20世紀に中国が生んだ文豪・魯迅も、実はノーベル賞候補になるのを辞退した事実はあまり知られていない。1927年9月25日、魯迅が友人の作家の台静農に宛てた手紙が残っている。
「8月17日のお手紙を受け取りました。(劉)半農先生にはなにとぞ、私に対し、また中国に対してのご厚意に感謝している旨をお伝えください。しかし申し訳ありませんが、私はそれを望んでおりません。ノーベル賞は、梁啓超は当然のことながら値しませんし、私も値しません......あるいは、私が得をしているとしたら、それは私が中国人だからであって、『中国』という二文字のおかげでしょう......笑止千万です」(『魯迅書簡』上海青光書局、1933年)
文中にある梁啓超とは、清朝末期の改革運動の指導者だったが、「戊戌政変」で日本へ亡命し、『新民叢報』を発行して新時代の先駆けとなった知識人である。劉半農は1919年の「五四運動」の火付け役となった陳独秀主宰の雑誌『新青年』の編集人で、北京大学教授だった言語学の大家。『魯迅全集』の注釈によれば、スウェーデンからノーベル賞選考委員が訪中し、劉半農の推薦によって魯迅を正式な候補者として決定する際、魯迅本人に受賞を打診したのだという。魯迅の手紙はそれに対する辞退の返事であったのだ。
なぜ、魯迅はノーベル賞の候補者になることを辞退したのだろうか。魯迅は言う。「中国はまだ政治的混乱と後進性の中にあり、ただ中国人だという理由から特別扱いされて受賞するのは望みません。中国人にはまだノーベル賞は値しません。もし中国人にノーベル賞など与えたら、ただでさえ傲慢な民族がますます増長して手に負えなくなってしまいます」
さすがに「中国人の魂」と尊称される文学者である。そして今でも彼の予言は生きているようだ。
2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波は、いまだに中国の獄中にある。今年、医学生理学賞を受賞する屠女史は、海外での称賛とは対照的に中国では批判と疑問の声に取り巻かれている。いまだ中国では政治性に重きが置かれ、ねたみ嫉みの大合唱なのだ。人類への貢献や創造的で革新的な考案や進歩とは、まるで無縁の世界のようである。
自国のノーベル賞受賞者に対して、日本のように国民全体が喜び、祝福する日が、いつか中国にもやってくるのだろうか。
[執筆者]
譚璐美(タン・ロミ)
作家、慶應義塾大学文学部訪問教授。東京生まれ、慶應義塾大学卒業、ニューヨーク在住。日中近代史を主なテーマに、国際政治、経済、文化など幅広く執筆。著書に『中国共産党を作った13人』、『日中百年の群像 革命いまだ成らず』(ともに新潮社)、『中国共産党 葬られた歴史』(文春新書)、『江青に妬まれた女――ファーストレディ王光美の人生』(NHK出版)、『ザッツ・ア・グッド・クエッション!――日米中、笑う経済最前線』(日本経済新聞社)、その他多数。