最新記事

ノーベル賞

それでも中国はノーベル賞受賞を喜ばない

2015年12月4日(金)11時05分
譚璐美(作家、慶應義塾大学文学部訪問教授)

 厳しい自己への戒めを含んだ文学者の言葉だが、20世紀に中国が生んだ文豪・魯迅も、実はノーベル賞候補になるのを辞退した事実はあまり知られていない。1927年9月25日、魯迅が友人の作家の台静農に宛てた手紙が残っている。

「8月17日のお手紙を受け取りました。(劉)半農先生にはなにとぞ、私に対し、また中国に対してのご厚意に感謝している旨をお伝えください。しかし申し訳ありませんが、私はそれを望んでおりません。ノーベル賞は、梁啓超は当然のことながら値しませんし、私も値しません......あるいは、私が得をしているとしたら、それは私が中国人だからであって、『中国』という二文字のおかげでしょう......笑止千万です」(『魯迅書簡』上海青光書局、1933年)

 文中にある梁啓超とは、清朝末期の改革運動の指導者だったが、「戊戌政変」で日本へ亡命し、『新民叢報』を発行して新時代の先駆けとなった知識人である。劉半農は1919年の「五四運動」の火付け役となった陳独秀主宰の雑誌『新青年』の編集人で、北京大学教授だった言語学の大家。『魯迅全集』の注釈によれば、スウェーデンからノーベル賞選考委員が訪中し、劉半農の推薦によって魯迅を正式な候補者として決定する際、魯迅本人に受賞を打診したのだという。魯迅の手紙はそれに対する辞退の返事であったのだ。

 なぜ、魯迅はノーベル賞の候補者になることを辞退したのだろうか。魯迅は言う。「中国はまだ政治的混乱と後進性の中にあり、ただ中国人だという理由から特別扱いされて受賞するのは望みません。中国人にはまだノーベル賞は値しません。もし中国人にノーベル賞など与えたら、ただでさえ傲慢な民族がますます増長して手に負えなくなってしまいます」

 さすがに「中国人の魂」と尊称される文学者である。そして今でも彼の予言は生きているようだ。

 2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波は、いまだに中国の獄中にある。今年、医学生理学賞を受賞する屠女史は、海外での称賛とは対照的に中国では批判と疑問の声に取り巻かれている。いまだ中国では政治性に重きが置かれ、ねたみ嫉みの大合唱なのだ。人類への貢献や創造的で革新的な考案や進歩とは、まるで無縁の世界のようである。

 自国のノーベル賞受賞者に対して、日本のように国民全体が喜び、祝福する日が、いつか中国にもやってくるのだろうか。

ストックホルムにて

[執筆者]
譚璐美(タン・ロミ)
作家、慶應義塾大学文学部訪問教授。東京生まれ、慶應義塾大学卒業、ニューヨーク在住。日中近代史を主なテーマに、国際政治、経済、文化など幅広く執筆。著書に『中国共産党を作った13人』、『日中百年の群像 革命いまだ成らず』(ともに新潮社)、『中国共産党 葬られた歴史』(文春新書)、『江青に妬まれた女――ファーストレディ王光美の人生』(NHK出版)、『ザッツ・ア・グッド・クエッション!――日米中、笑う経済最前線』(日本経済新聞社)、その他多数。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イスラエルがガザ空爆、48時間で120人殺害 パレ

ワールド

大統領への「殺し屋雇った」、フィリピン副大統領発言

ワールド

米農務長官にロリンズ氏、保守系シンクタンク所長

ワールド

COP29、年3000億ドルの途上国支援で合意 不
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 2
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 3
    「このまま全員死ぬんだ...」巨大な部品が外されたまま飛行機が離陸体勢に...窓から女性が撮影した映像にネット震撼
  • 4
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 5
    「ダイエット成功」3つの戦略...「食事内容」ではな…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    ロシア西部「弾薬庫」への攻撃で起きたのは、戦争が…
  • 8
    「何も見えない」...大雨の日に飛行機を着陸させる「…
  • 9
    クルスク州のロシア軍司令部をウクライナがミサイル…
  • 10
    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 3
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 4
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 5
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 8
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 9
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 10
    メーガン妃が「輝きを失った瞬間」が話題に...その時…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大き…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 7
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 8
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 9
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 10
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中