土着の記憶を魂に響くリズムで
いったい、余秀華とは何者なのか。
一九七六年、湖北省の横店村という辺鄙な田舎に生まれた余秀華は、出生時の酸欠が原因で脳性麻痺になり、体に障害が残った。高二のときに学校を中退し、親の取り決めで結婚した。一子をもうけてから、ずっと無職のまま今日に至っている。両親とはほとんど話すことはなく、息子が武漢の大学に進学してからは終日、時間を持て余している。暇つぶしのために詩を書き始めたが、詩という形式にしたのは字数が少なく、障害のある手でも書きやすいからだ。誰かに見せるためではなく、ましてや詩人になろうとはまったく思っていない。ただ、心に鬱積している思いを吐き出すため、筆を動かしただけである。
余秀華の詩が広く反響を呼んだのには理由があった。まず、挙げられるのは固定化された社会システムに起きた、身分の反転であろう。本来、余秀華はいわゆる「詩人」ではない。それどころか、詩の世界からもっとも遠く離れた、ただの農民である。もともと中国では「農民」は社会の最下位と見なされ、貧困や粗野、愚昧や閉鎖性などとともに語られることが多い。彼らは経済自由化の恩恵をほとんど受けておらず、いまだに劣悪な生存条件を強いられている。
一方、詩人は特権的な存在である。言論の自由が制限されているため、詩の雑誌も詩集も西側のように自由には出版できない。政府公認の文芸誌に作品が掲載されないかぎり、「詩人」になれない。選別の仕組みはまったく機能していないわけではない。実際、投稿を通してデビューした優れた詩人もいる。ただ、いったん「詩人」になると、問われるのは創作の資質よりも、仲良し集団という空間をワープする能力である。ましてや、市場経済化が実施されてから、詩を取り巻く環境はいっそう厳しくなり、文学の商品化が進むなか、詩人の活躍する場は著しく狭められている。一人の農民にとって投稿を通して詩壇にデビューするのは、豆の木を伝って雲の上に登って行くようなものだ。だが、余秀華の登場は、社会の末端にいる農民がどの詩人も書けない詩を書いたという現実を人々に突きつけた。「詩人」と「農民」という身分の極性の反転に、読者の眼球はグィッと引きつけられた。
さらに、余秀華が脚光を浴びた理由として、脳性麻痺の後遺症を抱えていることが挙げられる。中国社会ではもともと障害者に対して不寛容で、弱肉強食の競争社会は知的障害を嘲笑するという精神風土の砂漠化をいっそう深刻なものにした。ところが、知的障害者の余秀華の筆からは、凡百の詩人たちがおよそ想像もつかない、虹色の世界が立ち現れた。沸き立つ言葉に包まれた鋭い知性は読者を沈思の深淵に誘い、村落的な想像力の望遠鏡から、見たことのない内面の星空が姿をあらわした。こうして知性の序列の逆転という奇跡が起きた。