記者が見たシリア無差別攻撃の現実
止まらない憎しみの連鎖
10カ所の村をカバーする救急車の運転手は無報酬で働く。それは仲間の医療ボランティアもみんな同じだ。理学療法士、薬剤師2人、看護師、反政府活動をした罪で服役中に医療の基礎を身に付けた地元のイマーム(イスラム教導師)。ごく普通の敬虔な男たちばかりだが、他の人たちと違うのは教育があって周囲の人々を助けるのが自分の務めだと確信している点だ。
革命が始まるとマフムードはデモに参加し、その後反政府派の自由シリア軍(FSA)に加わったが、自分の天職は救急車の運転手だと気付いた。戦闘員はいくらでもいるが、運転手は自分しかいない。その孤独な使命感が生きがいにつながっているという。
ここでの暮らしは、警告なしに落ちてくる砲弾の衝撃音でしばしば中断される。政府軍は少しでも多くの死傷者を出そうと、予告なしで攻撃する。「砲撃は革命を支持した罰だ」とマフムードは言う。
しかしその思惑は外れている。民衆が憎むのは戦争でも革命家でもなければ、革命家と手を組んだ外国のイスラム主義者でもない。アサド政権であり、イランであり、ヒズボラであり、シーア派だ。
傍観しているアメリカのことも憎んでいる。憎悪の連鎖は穏健派も過激化させている。アサド政権の残虐さに彼らの顔が険しくなっていくのを、マフムードは急行した爆撃現場で毎日のように目にする。
1月、マフムードは自宅から15キロ離れたイドリブ県のワディ・デイフ基地にいた。基地を包囲した反政府勢力と政府軍の攻防が続く最前線だ。救急車の後部には、砲撃で片脚を吹き飛ばされ意識不明に陥ったFSAのリビア人戦闘員が乗っていた。
降り注ぐロケット弾を間一髪で逃れ、トルコとの国境を目指したが、追ってきた武装ヘリが機銃掃射を仕掛けてきた。マフムードは救急車ごと林の中に隠れた。待つこと2時間、武装ヘリはようやく追跡を諦め、マフムードは再びトルコを目指した。兵士は一命を取り留めた。
しかしマフムードの博愛心は、無傷では済まなかった。負傷者が政府軍兵士でも救急車に乗せるかとの問いに、マフムードは乗せると答える。「ただし面倒は見ない」
カーンアソブルの人々は普通に暮らしたいと強く願っている。商店は平常どおり営業し、農作物は収穫され、礼拝の合図が聞こえれば信心深い人々は礼拝に行く。それでも空から降ってくる死の恐怖が薄れるわけではない。普通の暮らしを求めて多くの人が文字どおり地下に向かっている。
マフムードは私をアブ・アラーに引き合わせた。1年半前、アブ・アラーは自宅の庭に穴を掘り始めた。地中の硬く厚い岩をノミと金づちで少しずつ削っていく。最初は1日2〜3時間だったのがやがて1日中になり、13歳と15歳の息子たちにも交代で手伝わせるようになった。
アブ・アラーが恐れたとおり昨年に砲撃が始まり、親子は作業のペースを上げた。1年がかりでようやく大洞窟のような地下壕が完成した。