「サッチャーお断り!」カードを捨てるワケ
小学生から労働組合まで幅広く嫌われた女帝も今は悲しみを誘う?
鉄の女 この世を去っても我々を叱り続けるサッチャー元英首相 Roy Letkey-Reuters
私は「サッチャーを嫌う会」の会員カードを持っていた。ここにちゃんと証拠もある。私がこのカードをどこで手に入れたか、おそらくは英国共産党の機関誌「マルキシズム・トゥデイ」が主催した会議だったかと思うが、ちょっと記憶がおぼろげだ(70年代後半の頃の遊びと言えばはこんな学生運動だった)。
ただ、その当時の社会の雰囲気は強烈に記憶している。まるで、イギリスがバラバラに壊れていくようだった。IRA(アイルランド共和軍)によるテロか公共交通機関の事故――鉄道駅の大火災やテムズ河の遊覧船沈没――が毎週のように起こっていた。理由が何であれ、包帯を巻いた生存者とメディアに出られるとなると、マーガレット・サッチャー首相は病院に駆けつけて一緒に写真を撮りたがった。
こんな行動を見せられると、私のような英国人の心は怒りと恐怖で一杯になった。だから「サッチャーお断り!」カードを持つようになった。カードにはこう記してある。「たとえどんな状況であろうとも、事故が起こった際、このカードの所有者はサッチャーの訪問をお断りします」
今どきこんな行動は無礼に聞こえるだろう。民主世界のリーダーの1人が、わざわざ時間を割いて病院のベッドで寝ている自分を見舞ってくれるというのに、それをご遠慮願うと言っているのだから(お恥ずかしいことに、「サッチャーお断り!カード」のモデルになった臓器移植の意思表示カードのほうは持たないままだった)。
自己弁護すれば、あの時代、イギリスはそれくらい強烈なサッチャー嫌いの空気に覆われていた。これに比べれば、バラク・オバマ大統領がアメリカ人ではないと強弁する一部アメリカ人の敵意も愛情表現のように思えるくらいだ。
小学校時代、私は学校で「サッチャー、サッチャー、牛乳ドロボーのサッチャー」と叫んでいた。なぜならその頃、教育大臣だったサッチャーが学校での牛乳配給制度を撤廃したからで、私たちはその犠牲者だった。私はそれまで、毎朝配られるボトル入りの生ぬるい牛乳を飲むのが嫌でたまらなかった。だが、だからといってサッチャーの改革に賛成かというと、それとこれとは話が別だ。
私が高校に入ってから大学を卒業してまもなくイギリスを離れるまで、サッチャーへの抗議活動を盛り上げるのは決まってシュプレヒコールを挙げることだった。声を挙げれば皆が条件反射のように「マギー、マギー、マギー」「辞めろ!辞めろ!辞めろ!」と連呼した。エルビス・コステロも『トランプ・ザ・ダート・ダウン』の曲でこう歌って彼女を批判している。「長生きしたい/長生きしてあんたの墓を踏みつけるために」
時間とともに消えた憎しみ
サッチャーはなぜこれほど嫌われるのか?その理由は彼女の行った政策にある。水道やガス事業の民営化や公営住宅の売却、フォークランド諸島を巡るアルゼンチンとの戦争、炭鉱労働組合をはじめとする労働者との争い――。