ユーロ危機から密かに世界を救った男
ギリシャのような小国の危機が、ユーロ圏全体やアメリカのような巨大なシステムを危機に陥れることもある。いったん金融危機の連鎖が始まれば、それがいつ止まるかは誰にも分からない。危機を食い止めるには、中央銀行の役割が決定的に重要だ。
1920年代のアメリカの金融政策は歴史的な大失敗で、景気後退を大恐慌にまで悪化させてしまった。その責任者たる中央銀行のFRBは今も嘲笑の的で、人気がない。19世紀のアメリカ人は中央銀行を作る動きに猛反対したし、FRBはならず者の集まりですぐにでも廃止すべきだと考える人が今でも少なからずいる。
最後に残ったエリート
ECBはFRBよりはるかに新しいが、それでも人々の反感は強い。多くのドイツ人は、ECBのせいでドイツが外国政府の借金の肩代わりをさせられるのではないかと恐れている。世界でも、中央銀行は通貨安やインフレ、労働者の貧困化の犯人と疑われている。
それでも今の金融システムを支えているのは、お金を貸し出す意思を持った金融機関と、政府は債務不履行(デフォルト)に陥らないという信仰だ。そうである以上、安心と安定を供給する中央銀行の役割は軽視できない。
ECBもFRBも、財政支出や政府の借り入れの規模を決めることはできない。財政政策は、政府と議会の領分だからだ。それでも中央銀行は、システムを維持する上で特殊な地位を占めている。中央銀行は経済成長や技術革新は生み出せないが、政治家の至らなさや大衆の理不尽さが社会の安定をぶち壊すのを防ぐことはできる。ドラギは、そのことを見事に理解したのだ。
中央銀行の銀行家たちは金融界に残った最後のエリート。間違いも犯すし失敗もするが、過去4年間、世界の金融システムの中では数少ない希望の星だった。世界金融がまだ完全な闇に包まれていないのは、彼らのおかげだ。
ドラギが新しい仕組みを導入しても、それでユーロ危機が終わることはないだろう。だが転機にはなるかもしれない。1944年のノルマンディー上陸作戦は第二次大戦を終わらせたわけではないが、終わりの始まりになった。
ユーロ危機では今まで幾度も収束の期待を裏切られてきた。ドラギの采配にも、期待しないほうが賢明なのかもしれない。それでも、今度こそ危機解決へ前進できるかもしれないと思えるのは、実に久しぶりのことだ。
ユーロ圏の国々が自らの複雑な問題を整理し、解決するには何年もかかるだろう。そのプロセスは、絶えず恐怖と不安にさいなまれるこれまでのような環境の中では、始めることすらできない。
ドラギはヨーロッパや世界の傷を治したわけではないが、われわれすべてに大きな安堵感を与えてくれた。彼は崩壊はあり得ないと請け合うことで「間」を作ってくれた。癒やしのプロセスを始めるために不可欠の間だ。
[2012年9月19日号掲載]