ビンラディンの大いなる誤算
唱える理念自体に欠陥が
アボタバード文書から分かるのは、ビンラディンが自分の解き放ったものを理解していなかったことだ。晩年になってようやく彼は、テロリズムがイスラムと、正義と、アルカイダに何をもたらすかを理解し始めた。ビンラディンが始めた運動は、自らをむしばんでいたのだ。
それはテロリズムの不可避的な末路だ。信仰に関係なくほとんどの人は、子供や丸腰の人間を殺すのは重大な過ちだと思う。派閥抗争や戦争は嫌だし、抑圧的な政府の下で暮らしたいとは思わない。市場を爆破し、取るに足らない罪を犯した人の手を切り落とすグループを嫌う。
ビンラディンはこうした過ちを支持者のせいにした。自分が唱える理念を彼らが誤って解釈したのだと考えた。自分が唱えた理念自体に欠陥があるとは、決して思い至らなかった。
だが、ひとたびテロリズムを推し進め、聖典を都合よく解釈して正当化すれば、邪魔な人間を手当たり次第に殺すのを正当化するのは簡単だ。異教徒に対する戦争を宣言して、異教徒の定義を非イスラム教徒からシーア派に拡大するのもたやすい。
ビンラディンはこの狂気に深くはまり込み、はい出ることができなかった。だが彼が残した文書は、アルカイダとビンラディンの支持者全員に対する警告になる。神の名の下に民間人を殺せば、神と自分の価値観、そして人民を裏切ることになる。自分を破滅させることになる。
後戻りするなら、今だ。
© 2012,Slate
[2012年5月16日号掲載]