コンゴという幻想国家と縁を切れ
クリントン訪問の意義と限界
外国人責任論のほかに、もう一つ典型的な反論がある。ジャーナリストのデルフィン・シュランクがフォーリン・ポリシー誌のサイトで論じたように、どんな状況に置かれても、コンゴ人の心の中にはコンゴという国が存在するという主張だ。
「政府にはびこる暴力行為のせいで国家は存在しないが、『コンゴ人の国』は観念的に存在する。人類学者のベネディクト・アンダーセンの言葉を借りれば『想像上の政治コミュニティー』だ。6800万人の人々がそこに属していると信じている以上、コンゴは存在する」
彼らのアイデンティティの絆として、音楽が例に挙げられることも多い。しかし、何百万人もの国民が命を落とした今、コンゴ人には「想像」ではない本物の国家をもつ権利があるはずだ。
クリントン国務長官の短いコンゴ訪問は、そうした問題すべてに光を当てるものだった。東部の町を訪問したのは極めて正しい判断だ。おかげで集団レイプなどの人権侵害や民間人への報復行為、悲惨な生活環境に、世界中が怒りを覚えた。
対策の強化を求めて圧力をかけた点も正しかった。だが、それこそが問題の元凶でもある。クリントンが問題解決を要請した相手、つまりコンゴ政府こそ、問題の核心なのだから。
コンゴ政府が主権を行使できる状態にあるのなら、今ごろは鉱物資源の不法取引の取り締りがもっと進んでいるはずだ。実際には、あまりにも多くの勢力(政府とつながった勢力もある)が、不正な取引の恩恵に与っている。
コンゴ東部ではカビラ政権の統治はまったく機能しておらず、次の政権が誕生してもそれは変わらないだろう。さらに困ったことに、国家権力であるはずの政府軍が、東部の民兵組織と同じくらい民間人の脅威になっているケースも多い。
クリントンの訪問などを経て、国際社会はコンゴ東部の悲劇の大きさを認識しつつある。だが同時に、中央政府が問題を解決できると信じることで、危機解決の足を引っ張ってもいる。
コンゴの問題に本当に切り込むには、国際社会はコンゴという国家の本質と失敗に真正面から向き合う必要がある。「チェンジ」を掲げたオバマ政権は、確固たる信念をもって40年に及ぶ茶番劇に終止符を打つべきだ。
(ハーブストはオハイオ州のマイアミ大学総長、ミルズはヨハネスブルグに本部を置くブレンサースト基金の責任者)
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