イラン改革派が勝てない皮肉な理由
テヘランでは先週、大統領選の結果をめぐる抗議デモが再燃した。だが外国メディアが6月の騒乱を天安門事件になぞらえたせいで、改革派は敗北しつつある
変質した緑 改革派の大統領候補だったムサビのシンボルカラーも、今では神通力を失った(7月9日、テヘラン) Reuters
マイケル・ジャクソンの死でイラン騒乱に関する記事が新聞の一面から放逐され、改革派の抗議デモも一服したとき、政府も改革派も次の一手を考えようとした。
保守強硬派のマフムード・アハマディネジャド大統領を再選した選挙結果が不正だったという疑惑と怒りは、学生や世俗主義者、富裕層などの少数派に限られたものではないと、政府は気づかされた。抗議はイランの物言わぬ多数派にも広がっていた。
そこで政府は、暴動はイランの敵が扇動したものだと宣伝し始めた。これに対し改革派は、イスラム体制の尊重と法の支配を強調した。
先週、改革派指導者の呼びかけも待たずに抗議デモが再び再燃したのを見ると、改革派はかつてないほど勢いづいているように見える。だが今回のデモの性質から浮かび上がるのは、今や政府が改革派に勝利を収めようとしているという事実だ。
マイケル・ジャクソンの死を境にした報道の小休止の間もその前も、デモの真意は改革派の意図を逸れ、西側のメディアに曲解されて伝わった。人々は、自由と民主主義を求めて通りに繰り出したのではない。保守派の重鎮で最高指導者アリ・ハメネイ師の盟友であるアリ・ラリジャニ国会議長の言葉を借りれば、「イラン国民の大半は大統領選の結果を信じていない」から抗議したのだ。
メディアのこじつけは体制側の思う壺
6月12日の大統領選後、テヘランの街にあふれた改革派支持者には、若者や高齢者、髭を生やした者やそうでない者、チャドルをまとった女性や敬虔なイスラム教徒、それに世俗主義者やシャネルを着た人まで集まっていた。皆、不正選挙に不満の意思表示をしたかった。単純な話だ。
だが世界のメディアは、何とかしてこのデモをイラン版の天安門事件に仕立てようとし、79年に王制を倒したイラン革命との共通点をこじつけようとした。新聞もテレビも、デモをイスラム体制に対する抗議にしたがった。
その結果、デモの影響力は弱まった。イスラム体制に対する脅威と見なされることは、イランで信頼を失う最も手っ取り早い方法だからだ。改革派、とりわけデモの指導者を悪魔に仕立て上げられれば、それこそイラン政府の思う壺だ。
総じて無能な亡命者グループ──王制復活主義者やイラクとパリを拠点とする反体制組織ムジャヒディン・ハルクも、反乱を扇動する熱狂と興奮に加わった。だが彼らが「連帯」を表明したせいで、真の選挙権を主張したかっただけの有権者にもレッテルが貼られ、信用は失われた。
ムジャヒディン・ハルクは、イラン・イラク戦争でイラクのサダム・フセイン大統領(当時)を支持した嫌われ者のカルト集団。警棒や銃にも立ち向かって行ったデモ参加者にとって、そのムジャヒディンが、デモで射殺され「抵抗のシンボル」になった女性ネダ・アガ・ソルタンのポスターを掲げて開いた記者会見ほどおぞましい光景はなかっただろう。
SUVでデモに乗り込んだ「支持者」
イラン革命で打倒されたパーレビ元国王の長男レザ・パーレビ元皇太子は、ワシントンで記者会見を開き、涙を流した。多くのイラン人はウソ泣きと思っているし、改革派のミルホセイン・ムサビ元首相にとってもムジャヒディンと同じくらい迷惑な話だった。
またブリュッセルでは、ムサビの代役を自任する著名なイラン人映画監督が欧州議会で、イランと対決しなければすぐに核兵器保有国になると発言した。外国の陰謀を訴えるイラン政府のプロパガンダにとって、これ以上ない贈り物だ。これらすべての動きによって、イラン改革派の革命は乗っ取られた。
その悪影響は、先週抗議デモが再開したときにはっきりした。それはまさにイランの保守派が見たがっていた光景だった。デモ参加者は小金持ちそうな若いテヘラン市民で、10万ドルもするSUV(スポーツ・ユーティリティー車)で現場から逃げた者もいた。チャドル姿はほとんどなく、家族はもっと少なく、ラリジャニが「選挙結果を信じていない」と認めた大多数の国民の姿はもはやなかった。