パリで成功をつかんだ日本人調香師、新間美也「まず詩を書いて、その目標に向け調合する」
パリと日本を行き来して香りの世界を伝える調香師・新間美也さん
<27歳で香水の本場に飛び込んだ女性は、日本の美学を香りで表現する>
5月下旬、フランスから届いた「FUWARI/ふわり」という名の香水が、日本で発売された。香水を主要産業とする南仏の町グラースで5月に咲く、牡丹のようなピンク色のバラ「ローズ・ド・メ」のエッセンスを調合したものだ。この甘く深い芳香は、パリを拠点にしている調香師の新間美也さん(54歳)が作った。
新間さんは自身の香水ブランド「Miya Shinma Paris」をパリで立ち上げ、ヨーロッパ各地で広く販売している。上質なMiya Shinma Parisの顧客には、著名なセレブも名を連ねているという。異国で活躍を続ける新間さんに話を聞いた。
雑誌記事との出合いから香りの世界へ
静岡で育ち、京都で学生時代を過ごした新間さんは、海外で学んだり働いてみたいといった強い気持ちは抱いていなかった。パリに渡ったきっかけは、会社員のときに読んだフランス人調香師の記事だ。
「調香は、オーケストラのシンフォニーの作曲とよく似ている」という彼の言葉が胸に突き刺さった。3歳の頃から、今も毎日のように弾き続けているピアノは新間さんの生活に潤いを与えていて、「香水が単なる商品ではなく、ファッションの1つでもなく、音楽と同じ芸術作品なのだと知って衝撃を受けたのです」という。
その後も香水への興味は高まる一方で、香水作りを学ぼうと決心し、27年前に渡仏した。調香師の第一人者が設立した養成校に通い、香りについての一流のトレーニングを受けた。
パリの高級デパートに自ら売り込んだ
調香師は今、世界でおよそ数百人いる程度で、その多くはフランスとスイスに住んでいるという。ひと口に調香師といっても①クリエイター、②市場の製品を比較し、調査する分析専門家、③香料自体を専門とする香料家、④石鹸などの香りの安定性をチェックする技術専門の調香師がいて、それぞれ仕事の分野は異なる。
クリエイターの働き方も一様ではなく、調合香料メーカー(様々なブランドから香水類やトイレタリー製品などの香りの処方依頼を受ける)で働く人、香水メゾン(「ゲラン」など香水をメインに作っている香水専門のブランド)の専属調香師、自分の香水作りを追及する独立型調香師(フリーランス)がいる。(以上の情報は『香水のすべて』新間美也・訳、2024年1月刊、翔泳社より)
新間さんが目指したのは、当時はまだ珍しかった独立型調香師だ。パリで勉強している間、周囲からよく日本のことを聞かれ、改めて日本の文化にひたる時間も持ちたいと感じて百人一首を味わうようになった。やがて、和歌の自然の世界を香りで表現したいと思うようになる。
「学校を卒業して、百人一首の"花""月""風"を詠んだ歌を解釈して生み出した香水が、私のブランドMiya Shinma Parisの始まりでした」
友人に「きっと売れるよ。ボン・マルシェ(パリの老舗百貨店)に聞いてみたら」と言われ、つてもなかったのに売り込んだことが大きな転機となった。「勇気があったとかではなくて、ただ夢中だったのです」と新間さんは四半世紀前を振り返る。香水は同店で販売され、富裕層から大好評を得たのだった。