「代理出産」は本当に身勝手なのか?
We’re Having a Surrogate
双方の希望と事情を擦り合わせ、代理母を雇うことを決めた筆者(左)と夫 KRISTINA KASPARIAN
<遺伝子も子宮も提供しないけれど心は子供にささげる、そう決意した背景には夫婦の絆と困難な事情があった...>
現在30代の私は、今までありとあらゆる場面で妊娠出産について聞かれてきた。寝食を忘れて論文の執筆と格闘していた20代の大学院時代でさえ、いつ子供を産むのかと当たり前のように尋ねられた。
姉の結婚式でも学会でも聞かれた。エレベーターでは狭い金属の箱に5秒乗り合わせただけで人様のプライバシーに立ち入る権利があると思い込んだらしい赤の他人に、要らぬお節介をされた。
子育ての環境は完璧に整っていた。愛する夫とは20年前から共に笑い、共に生きてきた。2人とも安定した仕事に就き、持ち家があり、育児を手伝おうと待ち構えている人々の輪にも恵まれていた。
それでも子供について聞かれると、私は「今はちょっと」「そのうちに」「分かりません」と言葉を濁した。
10代前半から、自分のことはよく理解していた。書き言葉であれ話し言葉であれ、言語に接すると心が躍った。記憶力が抜群で、他人の感情を鋭く見抜き、床をのたうち回るほど生理痛がひどかった。
イタリアに住んで物書きになるのが夢で、子供は要らない。夢見る未来に、母親になった自分の姿はなかった。
だから20代の若さで早期閉経と診断されても動じなかった。私の体に、卵子はほとんど残っていなかった。
他人からの問いかけに対し、「そう簡単にはいかないんです」と返したこともある。真実に近い答えだった。
キャリアと健康を二の次三の次にして生殖することを期待する社会にあらがうのは、簡単なことではない。未来のわが子を想像しただけで目がきらきらする夫から、子育ての機会を奪うのは簡単なことではない。体外受精も子宮内膜症の治療も、簡単ではない。
私は不妊治療で心も体もぼろぼろになり、貯金は底を突いて借金が増えた。夜中に独りで泣き、嘔吐し、不妊治療をやめたいと苦しみながら一睡もできず、それでも翌朝には体の健康よりメンタルの安定を重視する専門医の前で平静を装った。
実子でなくても愛せる
はた目には子づくりを諦めたように見えただろう。だが夫と私は諦めるどころか、本能を否定せず自分らしく生きられる道を選んだ。