世界でオペラ演出も手掛ける舞台の重鎮、笈田ヨシ ── 死に向き合い充実した生を得る
俳優、そして演出家としても各国で活躍する笈田ヨシ氏 撮影=Sumiyo IDA (Photographer)
<この夏、卒寿を迎える舞台の重鎮が作品と自身の生き方での死への向き合い方について語る──>
演劇界で伝説のような存在といわれる演出家・俳優の笈田ヨシ氏は、今年、卒寿を迎える。日本から世界へと活躍の場を広げ、演出、出演に加え著書もあり、『俳優漂流』『見えない俳優:人間存在の神秘を探る旅』は何カ国語にも翻訳され、外国語の著作もある。2023年も年末まで出演が続き、来年初めには、笈田氏による演出のオペラ『真珠採り』がボルドー国立歌劇場で上演される予定だ。そんな留まることのない活動の裏で、笈田氏は自身の死についても考えてきたという。インタビュー後編では、死に対する率直なお話、また貴重なプライベートなメモをお届けし、人間「笈田ヨシ」の一面に迫る(インタビュー前編はこちら)。
──今年1月にニューヨークで、そして2月に東京で初演した新作現代オペラ『note to a friend』(笈田氏は演出担当)は、死がテーマでしたね。
作曲家のデヴィッド・ラングが芥川龍之介の『或旧友へ送る手記』『点鬼簿』などをもとにモノオペラを作りました。手記は芥川が親友に宛てた遺書のようなものですが、デヴィッド・ラングは「なぜ死んだのかを死んだ後に語る」という内容に変更しています。手記では漠然とした不安から自殺するとあります。芥川の心の中の本当のことはよくわからないけれど、デヴィッド・ラングは死というわかりにくいことについて書きたかった。ニューヨークのジャパン・ソサエティーと東京文化会館が共同で、毎年、日米関連の新作オペラを作ろうというプロジェクトがあり、今回はその2回目でした。
新作オペラは非常にお金がかかります。資金調達が大変ですが、だからといって新作を作らないと、オペラはいつまで経ってもプッチーニとかロッシーニとか古典作品ばかりになってしまうんです。フランスでも、時々新作オペラはありますし、ストラスブールのオペラハウスは毎年1本作ると決めています。ジャパン・ソサエティーも東京文化会館も、大赤字覚悟の文化の発展のための企画です。幸いにも、ニューヨークも東京も満員で、本当に良かったと思います。
──笈田さんも、不安で悩んだりされたことはあるかと思いますが。
芥川は38歳で亡くなりましたが、人間の40歳前後というのは非常に難しい時期なのでしょうね。僕も将来が不安で、長年、自殺したいと思って、どうやって死のうかと毎日考えていたけれど、どの方法もピンと来なくて。それが40歳の頃にフッと頭の中が変化して「人に見放されても、体が朽ち果てるまで1人で生きる」という勇気というか諦めというかがわいて、自殺願望が消えました。
きっかけは、声と動きです。その頃、フランスで俳優をしていたわけですが、声と動きについて探求していました。義太夫や能・狂言という日本の古典演技、そして武道の声と動きは知っていました。でも、日本の宗教の声と動きは知らなかったので、お寺へ行ったり密教を学んだりして、宗教の声と動きを頭や体で理解しようとしているうちに、心のスイッチが変わりました。それは論理じゃなくて。脳は単純なもので(笑)、何かのきっかけに考えていることが一瞬で変わってしまいますね。
──昨年ピーター・ブルック氏が他界されたことが、笈田さんの死生観に影響を与えましたか?
僕の大事な師匠はみんなお亡くなりになってしまいました。そして、こちらが歳を取っているので、僕のほとんどの友人たちも先に逝ってしまいました。人は死ぬものだということをしみじみと感じております。諸行無常です。