漂流する伝説の俳優、笈田ヨシ ── 人間の営みを見つめ表現する
創作とは「迷うこと」
──役者としてだけでなく、演出家のキャリアも長いです。演技のご指導はどう進めるのですか?
どう演技したらいいかというのは自分でもいまだにわからないので、教えることはないです。古典劇だと型があるから、その通りやってくださいと言えますが、新しいものを作るときには、方法論ができた途端に、もう創作じゃないわけですよね。クリエイトすることが、そこで止まってしまう。どこへ行くかわからないけれども、その場で何かやる。今日やったことは、その日限りのことかもしれないです。絶えず、とにかく何かやってみて、幸運にもうまくいったり、大失敗する場合もある。企業の経営も同じことではないでしょうか。人も社会状況も刻々と変わっていくわけですから、先輩たちが考えて順調だった経営方法は次への道ではない、絶えず、新しい道を作っていかないといけないと思います。
新しく作るというのは、終点が分かっているものじゃない。「迷うこと」、だと思うんですよね。伝統的な茶道とか、剣道のように師匠から教えられた究極の型というものがあって、その目的地に進んで行くのではなく、行ったり来たりの迷い道じゃないかと思うんですね。
作りたいものを観客に教わる
──公開稽古というのは、大事なのですか?
非常に重要なことだと思います。お客さんが入ってみないと、どんなものかわからないのです。つまり、確かこんな方向でいいんじゃないかなと思って進めていき、お客さんが入って見てくれて、その表情を見たり、横を向いてしまったのを見てそこが面白くないんだとわかり、また意見を聞いて作品の欠点を発見し、僕はこんなものが作りたかったのかなと初めて自覚するんです。
演出するときは、ここを目指すという明確なものは決めません。決めたって、稽古をしていると間違いだと思ってしまうのです。結局、人間の考えること、というより僕の考えていることは非常に浅はかで、くだらないから、偶然というか、天から何か降ってくるのを待つしかない。稽古中に役者が失敗したり、技術的に難しいことがあって何とか解決しなくてはならないと頭をひねったり。そうやって何か偶然が降ってきた時にいいものができるわけで、降って来なければ駄作なのです。ただし、何かが降ってきたとしても、今日、明日と、また少しずつ変えていかないといけないと思います。
──待っていると、必ず降ってくるものですか?
どうやったら天から何か降ってくるのかわからないから、必ず降ってくる方法があったら知りたいけれど。だから、祈るよりしようがないです(笑)
──2021年、静岡と横浜で日本初演した『Le Tambour de soie 綾の鼓』を、先日フランスで再演されました。能の演目「綾鼓」と三島由紀夫の『近代能楽集』の一作「綾の鼓」からインスピレーションを受けたのですよね。
能では、庭掃除番の老人が女御(にょうご)に恋をして、老人は身分の高いその女性になぶられ(からかわれ)ます。女性が老人に与えた偽物の鼓は何度打っても鳴らなくて、鳴ったら姿を見せると言った女性は現れない。老人は悲嘆して自殺した後、亡霊として現れ、女性をなじるのです。それを三島先生*が近代能楽集として書き換えたのが、もう70年前のことです。僕は現代能楽という意味で、アイデアを借りながら現代風に作りました。
*三島の作品:法律事務所の小間使の老人が洋装店の客の女性に恋をする。老人が打つ綾の鼓は鳴らず、老人は自殺する
掃除番の老人が、舞台でリハーサルをしているダンサーに恋をする物語にしました。現代では亡霊が出てくるのは信じがたいし馬鹿らしいから、ダンサーが老人をなぶったことによる罪悪感から、恋に絶望した老人の悪霊を想像として思い浮かべ、それに悩まされるというふうにしました(老人は死なない)。