姉ケイト・モスは愛をくれなかった...異母妹ロッティ、アダルトSNS「オンリーファンズ」で活躍
Not Just a Model
ロッティ・モス Andrea Raffin-Shutterstock
<スーパーモデルの異母妹である私がモデル業を引退してつかんだ本当の幸せ>
私はイングランド南東部の町で、ごく普通の子供時代を過ごした。母のインガーは教師をしていたけれど、彼女の母親(私の祖母)が亡くなった後、受け継いだ遺産でビンテージショップを始めた。
父のピーター・エドワード・モスには、私が1998年に生まれたとき、前の妻との間にもう2人の子供がいた。スーパーモデルのケイト・モス(74年生まれ)と、ニック・モス(77年生まれ)。父は私がまだ若い頃にそれまでの仕事を辞めた。母の店がうまくいかなくなったとき、父はひどい鬱状態になり、リハビリ施設に数カ月入った。
母と私にとってつらい時期だった。でも、何とか乗り越えた。母と私は強い絆で結ばれていて、父がリハビリ施設に入っていた頃は関係がさらに密になった。けれども姉たちとは一緒に暮らしたことがないので、仲良くなるのは難しかった。心から信頼できるような間柄ではなかった。
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私より24歳年上の姉ケイトがリッチなセレブなので、私たち家族全体がリッチだと思われているけれど、そんなことはない。お金も名声も、あくまで彼女のもの。私たち家族とは関係ない。
モデルの仕事を始めるチャンスが巡ってきたとき、私は飛び付いた。ケイトがミュージシャンのジェイミー・ヒンスと2011年に結婚式を挙げたときの写真が雑誌に載り、13歳だった私もそこに写っていて、それでスカウトされた。
最初に話が来たとき、私はまだ小さかったから、どうすればいいのかよく分からなかった。エージェントとの最初のミーティングで、メディアに書かれないようにする契約みたいなものを結べないでしょうかと尋ねたのを覚えている。一部のメディアがケイトについて書いていることを見ていて、とても怖かったから。
でも私は自分と両親のためにお金が欲しかったので、モデルになりたかった。両親は私にとてもよくしてくれたし、いい親でいようと常に努めていた。大きくなるにつれて、そのことが身に染みて分かってきた。
ケイトの暮らしぶりは知っていた。でも私には愛情を注いでくれる両親がいるから、自分のほうが幸せだと思えた。お金持ちになったり、高級品をたくさん持っていたりすることよりも、そちらのほうが大切だと感じていた。
けれども大きくなるにつれて、自分でも贅沢な品々が欲しくなってきた。18歳で学校を卒業すると、その翌週にロンドンに引っ越し、フルタイムでモデルの仕事を始めた。