「心からほっとした...」性差別に慣れ切っていた私が、ヒジャブを外した理由
My Life Without Hijabs Was a Relief
ヒジャブの着用をやめた日、心からほっとしたというサキーナ INAM SAKINAH
<アメリカのムスリムは自由に信仰を実践できるのに、モスクの中では女性の権利が制限され続けている>
私は最近まで、ヒジャブを身に着けて人生の大半を過ごしてきた。そうするのが習慣になったのは12歳の頃。アメリカのフロリダ育ちなので、イランやサウジアラビア、アフガニスタンのように家族や国から強制されたことはない。自分で選択した結果だ。
ヒジャブをかぶるのは外見ではなく内面と行動で判断してほしいからだと、私は誰かに理由を聞かれるたびに繰り返してきた。けれども、ここ数年の間に私はリーダーの立場になり、公平な社会を訴える団体の責任者を務める有色人種のムスリム(イスラム教徒)女性として重い責任を感じるようになった。
その過程で心に疑問が芽生えた。私はなぜ、男たちが私の外見に「気を取られない」ようにしなくてはならないのか。男の兄弟はそんな義務感を抱いていないのに......。
私は人種や性別、社会経済的出自による差別は許されないと訴えるために団体を立ち上げた。でも、自分自身はモスク(イスラム礼拝所)の後ろの席に座らされるという不当な扱いを黙認していた。しかも、そこでは自分の頭部を布で隠さなくてはならない。
何か特別なきっかけがあったわけではない。それでもパンデミック中にハーバード大学の医学大学院で学び始めた私は、こんな根本的矛盾はもう受け入れられないと思った。
私はじっくりと考え、聖典コーランを読み直して文献を調べた末、ヒジャブ着用の根拠を問い直すことにした。それは私には次のようなものに感じられた。女性は男性から見て性的魅力のある存在なので、望まない性的反応や誘惑を避けるために体を覆い隠し、男性と別の席(通常は後ろ)に座り、信徒の中で指導的地位に就いたりすべきではない――21世紀のアメリカ人の耳には、不条理なまでに明白な性差別主義に聞こえるはずだ。
イランの女性のように
ピュー・リサーチセンターの2017年の調査によると、アメリカ人ムスリム女性の42%がヒジャブをかぶっていない。大卒者に限れば、この数字が58%まで上がる。
私は今、ヒジャブを着けていない。肉親や親しい友人がその決断を支持してくれると知ったときは、本当にうれしかった。着用をやめた日、私はようやく自分の信条と行動が一致したと感じ、心からほっとした。
問題は1枚の布切れを脱ぐかどうかではない。ヒジャブを二度と身に着けないと誓うたびに、私は自分の価値を知っていること、性別による差別的扱いをもう受け入れないことを再確認するのだ。